1
岩手県奥州市胆沢南都田本木。国道397号沿い。南都田郵便局隣。要害(止々井館)跡の南東。
2
胆沢扇状地のミニチュアですね。
3
3.5
山岳部から見下ろすとこのような感じ。
4
可動していれば面白いと思います。
5
5.5
こちらは噴水?可動していなかったのでわかりませんが、ここから水が流れていくのでしょうね。
6
石淵ダム、胆沢ダム、愛宕神社などちょっとした説明もあります。
7
7.5
ダムはこのような造り。
8
こちらも噴水かと思ったのですが円筒分水工でした。ミニ円筒分水工から水が出るのを見たかったです。
9
ちなみにセンサーもあります。『この石にはセンサーが組込まれています。足跡の位置に立つとポンプが作動して水が流れます。山岳部に降った雨がダムで調節され、円筒分水や用水路を通って、水田を潤す様子がわかります。』
10
胆沢町の立体模型と地形的な特徴。
11
『【立体模型について】この広場の地形模型は、胆沢町の姿をわかりやすく紹介するために、立体的に作られたものです。縮尺は平面で1/1600、高さで1/1000となっています。高さが強調して表現されており、地形の変化を理解しやすくなっています。模型の中は自由に歩くことができます。焼石岳山頂からの眺めや、広々とした平野の様子を体験できます。またセンサーの作動により、森林に降った雨がダムにたたえられ、扇状地を潤す様子を観察することができます。【地形的な特徴について】焼石岳(1548.1m)を主峰とする焼石連峰で構成される西側の山岳部は、木々の緑にあふれ、水を生みだす源となっています。東側の平野部は、きれいな扇形になっており、胆沢扇状地と呼ばれています。扇状地は大きく3つの段丘に区分されており、南側の段丘から順に古い時代に作られたものです。扇の要の近くに位置する石淵ダムは、山岳部から流れ込む水を調節し、農業用水や飲料水として利用できるようにしています。胆沢川の水を扇状地に導水することにより、それまで砂漠のようだった土地が、肥沃な平野に生まれ変わったと言われています。胆沢町の農村風景は、緑と水と土の恵みをうけてできあがっているのです。』
12
石碑をたどる道「辻」…『現在、辻のバス停はJAストアー前にありますが、30年ほど前までは信号機のある交差点の所にありました。「辻」とは、文字通り「交差点」という意味の言葉です。それがこの地域の名前となりました。江戸時代まで他の地域と同様にここも散居そのものでした。明治になって小学校ができ、南都田村役場(跡地に記念碑が建立されています)ができるにつれて、商店が立ち、民家が増え、現在に見るような住宅密集地になりました。この地域を歩くと、「間明田橋」とか「南明王堂橋」など、古い字名を伝えるものが、そちこちに残っています。平成11年3月胆沢町』
13
地図。歴史的には色々と見応えのある町です。そして何より円筒分水工が魅力的な町です。
14
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ