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岩手県奥州市胆沢南都田清水下。国道397号沿い。要害(止々井館)跡(南都田本木)の西方。かつては国道397号にせり出す唐傘松が目印となっていましたが、数年前に雪の影響で一部伐採されています。
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古くは、止止井神社として大湯河桁命が祀られ、延喜式内社の胆沢郡七座のうちの一つでしたが、今では唐傘松の地と呼ばれて地域住民に親しまれています。この場所は奈良時代の集落跡とされる二本木遺跡地内です。この遺跡から畿内や関東とのつながりを思わせる土師器が出土し、その当時の交流を物語ります。止止井神社は、この地から1830年に中畑村(現前沢区古城)に遷座。その社殿裏には「とゝゐの神社」と記された社名碑が安置され、南都田から移されたことを今に伝えます。
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土地改良の碑(昭和38年6月胆沢平野土地改良區、南都田地區土地改良事業施行委員會)※碑文省略
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南無阿彌弥陀佛(慶応4戊辰年3月13日)
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親鸞聖人之碑(七百回大遠忌供養、昭和36年11月28日)
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細かく見ていませんが寛政の庚申塔のほか、天保14年7月28日、文政5年、大正9年旧3月21日などの紀年銘を持つ碑が所狭しと建ち並びます。
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石殿も一基ありました。
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延喜式内社止止井神社跡…『延喜式内社は、国から認められた官社のことで「官幣の社」といわれる。延暦17年(798)、中央集権制度の統制を地方に徹底させるため、当時の民衆の中心信仰であった神社信仰をもって統治の強化を図ったものである。神社は、民衆がそれまでに崇拝してきた氏神や地方の崇敬神を官社としたもので「延喜式神名帳」には陸奥国の条に100座が記載されている。止止井神社は、胆沢郡七座のうちの一社である。現在、前沢町古城地内にある止止井神社は、安永のころにこの地から遷座された社といわれる。★胆沢郡内の延喜式内社…「一、止止井神社(胆沢)二、胆沢川神社(胆沢)三、和我叡登挙神社(胆沢)四、於呂閇志神社(胆沢)五、磐神社(衣川)六、駒形神社(金ケ崎)七、石手堰神社(水沢)」昭和62年12月奥州市教育委員会』
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