
青森県上北郡六戸町下吉田米沢。私の地図では「正一位上坂稲荷大神」と記されています。下田谷地・鍋久保の人々が信仰しています。

入口付近にあった貼紙より…「正一位上坂稲荷神社例大祭(春:3月16日、秋:9月16日)」「奉納蛯名兵吾 昭和54年旧9月16日新11月5日」

入口付近に壊れた鳥居がありました。かつてはこの大きな鳥居が入口にあったんでしょうね。

いずれも大変立派な鳥居であったことはわかります。今では目印がほぼないので、地元の方以外では神社だと気付かずに通り過ぎるかと思います。

参道は山道といった感じ。先も見えずちょっと不安になります。しばらくすると右手に鳥居が見えてきます。

その先も道が続いているようですが行ってません。

両部鳥居。この鳥居も崩れそうです。

石段がありますが管理されている様子は無く、歩きにくいです。



社殿は昭和60年5月に再建。元は北向きで、今も旧参道跡が残りますが、現在は東向きの社殿です。昭和26年4月25日に焼き畑の火が飛んで社殿を焼失。
狐一対。


拝殿神額「正一位上坂稲荷大神」。

下田谷地の開墾を記念して建立。文政7年に下田氏の命により新田開発が始まり、以来毎年3月16日と9月16日には御神酒上げとして祭りを催してきました。

別当の蛯名家では、代々京都伏見稲荷から御神札を譲り受けて御神体として納めています。蛯名家の母屋には大正12年建立の立派な神棚があり、稲荷様が祀られ、棟札も納められています。棟札には「奉納正一位上坂稲荷神社 明治三十二年旧十二月十五日建立」「(裏面)青森縣上北郡六戸村大字下吉田 納人円子丑松 是宮建立事故ハ当納人兵隊ニ編入之為当村ナル和田清光院ナル山伏ヲ代理トシテ当宮ヘ心願ヲ掛ケ御願通成就ニ付本宮奉納」とあります。

現在の内御堂は昭和60年再建。かつての内御堂は恐らく蛯名家の神棚のような造りであったと思われます。

隣にも建物があります。


拝殿向拝。

中も荒れています。結局何かはわかりませんでした。

更に草むらの中にも建物が見えます。草木が生い茂っており近付けません。何となくトイレっぽいですけど。



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