青森県三戸郡南部町苫米地。国道104号沿い、春香の向いです。苫米地上町内で神明さまと呼ばれ親しまれている神社です。ちなみに春香の南(馬淵川方面)のふれあい公園は旧苫米地館跡になります。

苫米地館跡案内板より…『苫米地館は馬淵川の左岸に位置し、東西約90m、南北約120mで、かつては周囲に土居と堀がめぐらされていたといわれるが、現在、土居は削平されてみられない。また堀は館の北方に残っているが、地形からみると馬淵川の旧河道を利用した堀であることが明らかである。南方は馬淵川に臨み断崖で、規模は小さいが堅固な館である。この館の起源は明らかでないが、「三戸館持支配帳」に「苫米地館300石苫米地因幡」とあることから、この地に代々居住した苫米地氏の居館であったことは確かである。天正年間(1573~92)南部氏の内訌で九戸政実が乱を起した際は、苫米地氏は南部信直に与(くみ)している。政実方の部将櫛引河内守清長は三戸城を攻撃する足場を確保するため天正19年(1591)この館を夜襲したが、城主因幡と高橋館の高橋駿河が協力してこれを撃退している。昭和56年8月福地村教育委員会(平成5年10月再建)』

アーコレート桜。

アーコレードは、紅山桜と小彼岸桜の交配種で、イギリスで作出された品種とのこと。日本では春秋の二季咲きの冬桜。

灯籠二対(昭和60年4月16日・皇紀2600年記念)





手水舎。

神明宮御社殿屋根張替境内整備事業奉賛者芳名碑(平成22年4月16日竣工、(株)泉山石材)

石殿3基。

資料では欅の大木の根元に石造りの明神小祠と龍神小祠が奉斎されているとのことでした。名川町誌によりますと、摂社・末社として境内東側に稲荷堂、東側後方に豊受大神宮堂、裏手に龍神小祠が奉斎されているとのこと。




こちらはかつての石灯籠ですね。

手水石(昭和9年旧8月16日地引村苫米地中町内山村サン・多次郎)

手水石(大正13年旧3月16日苫米地村上町内一同)

社殿。南向きに鎮座。
御祭神は天照皇大神。創建不詳。産土様。例大祭は4月16日、9月15日(平成16年から9月16日に戻る)に催しており、春の大祭は総代・関係者のみで、秋の大祭は苫米地まつりとして9月15日から山車を繰り出して、氏子崇敬者総出で実施。
社殿は明治42年1月から大正元年11月まで3度の火災に遭っています。拝殿は間口4間半、奥行2間で、平成5年9月14日に増築。本殿は間口1間、奥行半間。本殿の内御堂には御神鏡が安置され、その他棟札も納められています。
拝殿向拝神額「太神宮」(龍齋謹書)

拝殿内。

幣殿・本殿覆屋。

裏参道鳥居。正確には脇参道(東側)かな。社殿の真横です。
こちらにも参道に沿って石灯籠や狛犬が配されています。

石灯籠一対(昭和9戌年旧3月16日)
狛犬一対(昭和2年)
摂社豊受大神宮堂。境内東側、社殿後方に鎮座。

社殿内。


豊受大神宮の隣。


龍神小祠が奉斎されています。

小祠。


鏡が奉納されています。末社稲荷堂の御堂(明神小祠)が境内東側に鎮座しているとのことで、稲荷堂でしょうかね。そういう雰囲気ではありませんでしたが。

諸國神社佛閣供養塔(萬延元年庚申7月15日)
西國三十三所(西国三十三観音札所巡礼参拝記念碑。天保15甲辰歳)※願主省略
金毘羅大権現碑(嘉永4辛亥年8月初10日)※惣世話人名省略
金毘羅山(天保15甲辰歳)
出羽三山(明治25壬辰年7月8日)
神明宮新築記念碑。



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