岩手県奥州市胆沢若柳。西方には萩森溜池円筒分水工もあります。

十三軒ため池(平成11年3月胆沢町)…『<開拓の歴史をたどる道>ここから東に広がる胆沢町西南部地域は、胆沢川河岸段丘の高台に位置することから、胆沢川からの引水が困難で、早くから稲作が普及した低地に比べて開墾が遅れ、戦前までは松林や萱刈り場という状態でした。そんな中でもこの地に暮らす人々は、江戸時代のはじめからいくつかの方法で、水を供給し、水田を耕し、生活をしてきました。サイホンの原理を活用したトンネル方式で、胆沢川上流部から水を供給した「穴山堰」や、衣川村北股川から取水の「二の台堰」、天水確保のため多数のため池を作り、農業を営んできました。しかし、それらの方法を用いても条件の良い土地のみでしか、水田は営めませんでした。この地域一帯の大規模な水田開発の大きなきっかけとなったのは、戦中戦後の食糧増産のための緊急開拓でした。特に昭和27年、石淵ダムの完成に伴い、胆沢川の水をこの西南部地区に導水し、水田化する事業が進められました。胆沢開拓と呼ばれているものです。当初、戦後の物資不足などでまさに困窮を極める事業でありましたが、この地に暮らす人々の忍耐と努力の結果、現在の美田に生まれ変わったのです。ここには、その開拓までの歴史を示す場所が随所に残っています。現在の美田を眺めながら、当時の人々の生活に思いを馳せ、ゆっくりと巡ってみたいものです。<十三軒ため池>この十三軒ため池は、昭和12年の完成で、当時政府の経済更正対策の一環で、南都田村の人々が周辺農地の開墾のために、築いたため池です。今も、農地を潤しています。「十三軒」という名前の由来は、この開墾に参加した農家が十三軒であるとか、様々言われており、はっきりしていません。現在このようなため池は、農業用水供給という本来の役割のほかに森と水辺を持つ豊かな自然空間として、非常に重要な場所となっています。』

記念碑…『秀麗な焼石連峰を西に望み、前庭の木立から水輝く十三軒溜池が鮮やかに映えるこの地に九十九戸の熱意とその意が結集し念願の体育館併設し水の郷未来館が完成した。平成7年よりの中山間地域総合整備事業を導入し、各戸12万円の出資を含む総工費214,239千円にて施工された事業である。ここに落成を記念し地区の発展と躍進を願って記念碑を建立する。平成11年7月20日』

水の郷未来館の裏手から歩いて行きました。





十三軒ため池。
円筒分水工は…
ありました。
雑草のせいで近寄るのは難しいですね。また、ため池での転落事故が増えているのでこれ以上は近付けません。ため池に滑り落ちると斜面を上がるのは困難です。
小さいです。
写真はズームです。
注意書きです。弱いですね。とても弱いです。

小さい円筒分水工であろうと落ちれば…

死にます。当たり前の話です。

十三軒谷地溜池新築記念(経済更生特別助成事業、昭和12年10月1日建立、南都田村)

ちなみに萩森溜池円筒分水工にも行ったのですが…


方向音痴が炸裂して…

全然違う場所を捜索していました!

写真は萩森溜池の北東約300mほどに位置する全然関係ない場所です笑




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