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秋田県山本郡藤里町大沢向山下。
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けやきの館の向かい。
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ちなみにけやきの館は水神様の大欅に関連する資料館的な場所かと思ったのですが、普通の公民館的な場所でした。もちろん集落会館「けやきの館」の名の由来は水神様の大欅によるものです。毎年11月に行われる地域の文化行事も「けやき祭り」と名付けられているそうです
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江戸期の大沢村は出羽国山本郡(寛政4年まで檜山郡)のうち。秋田藩領。近世村落整備により、糠野村の一部などを合わせて、慶長8年村高359石余の村として成立と推定。元和8年・宝暦5年など大洪水に悩み、再開発が繰り返されています。「正保国絵図」では大沢新田村として本田当高319石とあり、「元禄郷帳」でも新田村扱い。18世紀以降新田の字をとります。東部の滝沢山・八ケ沢ともすべて正徳5年に御留山に指定。藤琴村の寄郷で枝郷に一又・二又の2ヶ村を擁します。「享保黒印高帳」では村高468石余・当高411石余(うち本田329・本田並3・新田79)、「寛政村附帳」は当高270石余(うち蔵分257・給分13)、「天保郷帳」は411石余。戸数は「享保郡邑記」で86軒、文化10年に89軒・523人・馬218頭。曹洞宗竜江山月宗寺(檜山町多宝院末寺)は寛永年間の開基。村鎮守は熊野社で別当は修験大沢山喜宝院。戊辰戦争時に南部藩兵侵入。明治22年山本郡藤琴村の大字となり、昭和30年からは藤里村、同38年藤里町の大字となります。
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こちらは地蔵堂かな。
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6.5
他にも石仏がありました。
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こちらは内社とありました。
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明治32年に修繕されているのでそれ以前からあったものと思われます。
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向かって右から…
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三吉大神、金刀比羅大神…
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稲荷大神、唐松山大神、妙見大神とありました。
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六地蔵。
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やすらぎの廟。
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創建は1600年代と伝わり、御本尊は釈迦牟尼佛。
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九戸政実一族の姫君を匿った寺として知られています。九戸の乱の際に敗走した九戸政実の家臣が姫君を伴って大沢まで落ち延び、石岡家の祖となったという言い伝えが伝わっており(現在も大沢地区には石岡の姓が多いといいます)、この姫君が尼になり開基となったという話も伝わっているそうです。
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