八戸市櫛引寺沢。社号標(昭和48年8月28日建立)より…『祭神:瀧之大明神、春祭:4月28日、大祭:8月28日、年越祭:旧1月2日おこもり』

開創については定かではありませんが、天文7年、滝沢恵茂田と称する農民が、一日市の先で行った開田耕作に伴う水枯れに際しての霊夢により、瀧大明神として祀った話が伝えられています。一日市から尻内・豊崎方面の水田にかけての水支配に関する信仰を集めていたと考えられます。

天保4年に社殿を再建し、常泉院によって遷宮式をしたといいます。明治4年に速秋津日命を勧請し、瀧神社と改称して村社となりました。大正6年に社殿が造られましたが、平成7年に火災によって焼失し、同年再建されています。
二之鳥居。

石殿。

向って左より…「奉納 朝日福社」と彫られています。

「奉納 山谷藥師」と彫られています。

「奉納 仙台岩沼 竹駒稲荷神社」と彫られています。

こちらの鳥居付の石は不明。

参道石段。

御祭神は速秋津日命。
例祭日8月28日。境内地330坪、本殿0.25坪、幣殿2坪、拝殿26坪。
神社庁より…『天文年中に烏沢に恵茂田と称する老人がおり、田作りに精を出し、暮らしていたが、ある時水が涸渇してしまい、歎き悲しんでいた。或夜御神託があり、告げて曰く「吾は水門を司る神なり。今汝歎きを見るに忍びず、吾汝に流水を与えん。汝清浄の霊地に吾を祀り永く怠る事無かれ。」恵茂田氏は己の邸内の水の懸る森嚴な場所を選び、祠を建て瀧大明神として祀り、これが草創と伝わる。後に毎年八十八夜の日より二百十日迄水門へ御神霊を遷し奉って御加護を賜わった。これが後に領主八戸公の聞くところとなり、報賽の祭には長繋五百文の供進を得る。明治四年に速秋津日命を勧請し村社瀧神社と称する。平成七年二月三日の御篭祭にて出火し社殿焼失するが、氏子の浄財により同年八月二十八日に新拝殿竣工し現在に至る。』

拝殿向拝蟇股・木鼻。
拝殿向拝神額。

拝殿内。
幣殿・本殿。


本殿と本殿の塀。平成7年2月3日の火災の痕跡でしょうか。


拝殿前石灯籠一対(嘉永7年寅3月吉日)。
狛犬一対(大正6年10月28日、烏澤協同青年團、八戸町石工元祖十二代目安藤幾粂)。拝殿新築時のものですね。
社殿裏に水が流れている場所がありました。
境内社。

石が置かれています。

小祠の中には蛇が彫られた石が安置されています。

こちらも境内社。

ちなみに境内案内板によりますと『境内神 十二カクラ神・イチノジの神』とあります。

こちらの石碑は石上明神社・十和田山大権現・金毘羅大権現とあります。

う~ん…石上の下は明神社じゃないかも。

こちらは金毘羅大権現・八幡大神・春日大神。

征露記念(明治三十七八年戦役)。


瀧神社(平成7年8月28日建立)…『八戸市大字櫛引字寺沢29番鎮座◆祭神 速秋津日命◆境内神 十二カクラ神・イチノジの神◆草創 天文年中(1532-1554)◆祭礼 旧正月2日、4月28日、8月28日、11月28日◆由緒 瀧神社の御祭神は水門神である。瀧の明神を奉斎する神社を昔も今も「お瀧」と言っている。お瀧の信仰は、天文7年に惠茂田家の先祖が農耕の神として瀧之明神を祭り、地域の農民が農作物の豊穣を祈り息災、疫病の侵入を防ぐ、共同信仰の神となり惠茂田家が祭祀を司ってきたのである。明治4年6月(1871年)神社の維持管理が惠茂田家より烏沢村に移り、公的に「村社瀧神社」と認められ信仰されてきた。神社への信仰は変わりなく、村民は社の拝殿増築や本殿造営及び鳥居の修復、狛犬、御幕等の奉納、並びに境内地の植林や刈り払いにより神社、境内の姿も変わってきた。昭和29年の本殿造営に際し仮殿を総代寺澤徳藏氏宅に定め御神体を御遷座申し上げた。平成7年2月3日おこもりの残り火が原因で拝殿本殿とも焼失した。町内会では、瀧神社再建事業委員会を組織して町民及び参詣者から寄付を募り再建を行い、平成7年8月28日に竣工祭を挙行した。◆神社の主なうつりかわり・天文7戌戌年8月28日(1539年)神社建立・大正6年(1917年)拝殿新築・昭和29年(1954年)本殿造営・昭和36年(1961年)拝殿増築・昭和42年(1967年)拝殿増築・平成7年2月3日(1995年)拝殿、本殿焼失・平成7年8月28日拝殿改築竣工祭』












コメント