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保呂羽山波宇志別神社本殿』からの続きになります。
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一夜盛。
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一夜盛…『昔、この周辺は、東側(山の上に向かって右側)が亀田藩の領地になっていて、峰を境に領地が分けられていました。領地を広げようとした佐竹藩が、峰と峰の間に土を盛り、一晩で峰続きにしたという謂れからこの場所に「一夜盛」の名が付けられました。』
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一夜盛の上を歩いて行きます。
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見えてきたのは岩割りの木。
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偶然、岩のくぼみに落ちた小さな種は、わずかな割れ目に根を伸ばしました。やがて種は苗となり岩を割って生長を続けました。そして何百年もの後、小さな種は立派なブナの大木になりました。もともと2本ありましたが、平成12年の大雪で折れてしまいました。
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道は続きます。
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鎖場だけは少し大変でしたが、後は普通ですね。でも熊には気を付けましょう。
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ってことで到着。
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社殿前は土塁のようになっていました。
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Wikipediaより一部抜粋
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『保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんはうしわけじんじゃ)は、秋田県横手市大森町八沢木の保呂羽山山腹にある神社。式内小社「出羽国平鹿郡 波宇志別神社」、旧社格は県社。【主祭神】安閑天皇【社格等】式内社(小)・県社【創建】(伝)757年(天平宝字1年)【本殿の様式】両流造【例祭】8月15日、11月7日【主な神事】保呂羽山の霜月神楽【由緒】社伝によれば757年(天平宝字1年)、大友吉親が大和国吉野金峰山の蔵王権現を勧請し現在地に創建したという。秋田県に所在する式内社3社のうちの一つで、唯一断絶することなく現在に至る。中世には修験道の霊地として周囲より崇敬を集めていた。大友家に伝わる縁起によれば、創建以来大伴氏の末裔と伝えられる大友家が別当を務めてきたが、江戸時代初期、大友家当主が幼いため、一時的に大友家と守屋家から別当が出ていた。1853年(嘉永6年)に守屋家からの出火によって止宿していた参拝人が焼死するとともに藩主判物等が焼失した責任を問われ、守屋家当主であった守屋左源司は追放の処分となった。守屋家は、養子である守屋造酒進が神職とともに継がだ。しかし、、造酒進は、明治2年3月27日に神主から近進並みに召し立てられれにより、守屋家は、久保田城下に。そのため、後現在まで大友家が宮司を務めているという。ただし、現在は神職としては廃絶した守屋家には別の由緒が伝わっている。近世には佐竹氏の定めた秋田藩三国社の一つとして崇敬を集め、波宇志別神社の別当が、藩の社家大頭を務めていた。大友親久が本居宣長、大友直枝が本居大平に学ぶなど国学研究をさかんにおこない、江戸期後半の地域の動向にも影響を与えた。元来の祭神は天日鷲神ではないかとする新野直吉の説もあるが現在の祭神には入っていない。【祭神】安閑天皇 合祀 火産霊神、須佐之男命、菊理姫命、大日孁命、菅原道真、金山毘古命、稻倉魂命、大名持神、少彦名命、岩戸別神、八意思兼命、伊邪那岐命、経津主命、猿田彦命、天津御女命、健御名方命、応神天皇、大山祇命、大山咋命【祭事】11月7日:保呂羽山の霜月神楽(国の重要無形民俗文化財)【境内外社】下居堂(普賢菩薩)ほか【文化財】建造物:波宇志別神社神楽殿(国の重要文化財)』
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社殿。
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【年表】〈〉は関連事項
757年(天平宝字1年):創建
1602年(慶長7年):〈佐竹義宣、秋田入封。〉
1853年(嘉永6年):守屋家配流・1月3日夜、守屋家の家内に病死人があったを秘密にして、参詣者を宿泊させたが、玄関の奉納ボンデンに手燭の火が移って大火になった。数百人が外に出ようとしたものの、家の四方が雪で覆われてそれが出来ず、3百人あまりが焼死した事件の責任を負って配流となった。※『新秋田叢書7巻』
1868年(明治1年)3月:〈神仏分離令〉
1871年(明治4年)5月14日:〈社格制度制定〉
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石灯籠一対(大正6年9月11日、角間川町、黒九由藏、高橋初太郎)
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16.4
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神社庁より…『【鎮座地】横手市大森町八沢木字保呂羽山1-1【宮司】大友孝之【御祭神】安閑天皇他二十神【例祭】8月15日【境内神社】下居社【特殊神事】霜月神楽(11月15日)国指定重要無形民俗文化財【由緒】社記によると天平宝字元年8月15日創建。延喜式内社、出羽国九座の一.旧社格県社。明治39年9月28日神饌幣帛料供進神社に指定される。大友右衛太郎吉親が大和の金峯山より安閑天皇の御分霊を戴き御祭神とする。この神社は昭和32年8月15日に鎮座1200年祭を執り行っている。往古横手城主小野寺遠江守義通より神領500石の寄進あり、慶長7年佐竹義宣移封後110石寄付せられ以来国社と称し、藩内各神社の第一位に置き篤く崇敬せらる。爾来国内水旱の難、疫病の患いある時、又幕府へ参勤の節は藩主自ら城楼に登り遥拝式を挙げ更に宗族重臣を遣わして代拝奉幣式を執行せられる。旧藩時代の例格である。又本社は勿論下居社神楽殿神門鳥居に至る迄、その経営修繕悉く藩費を以て支弁せらる。又代々の藩主より神鏡、神興、御獅子、直筆額面等尊崇の篤かった神社である。神事霜月神楽は、天正18年5月3日大友右衛門太郎吉継の書き遺せる、保呂羽山開山以来之祭祀之次第により、祭式行事を行う。昭和52年国重要無形民俗文化財に指定せられる。尚神楽殿は室町中世の両流造りの建造物として、昭和55年国有形重要文化財に指定せらる。』
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拝殿向拝。
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手前に「保呂羽山」
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奥に神額「波宇志別神社」
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下部にも色々名前等が書かれていました。
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蟇股裏側、海老虹梁、手鋏等
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22.4
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奉納者御芳名。
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社殿内。
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24.5
建築力士像。
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25.2
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社殿からの眺望はあまりありません。
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さて、冒頭の案内板によりますと下山コースは別にあり、「約30分(ロープあり)」と書いていました。恐らく鎖場を下るのは危険なために下山コースがつくられたのでしょうね。ってことで社殿裏の下山コースへ。
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あれ!?
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確実に登ってるような笑
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一段高い場所に、石灯籠の火袋らしきものがありました。
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眺望はありません。
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保呂羽山…『この保呂羽山は、古くから信仰の山として人々から愛されてきました。このため、自然環境が良好に維持され、県内の里山地帯では稀有となったブナ-ミズナラ群落が分布しています。この群落は、ブナ、ミズナラをはじめイタヤカエデ、トチ、マルバマンサクなどが混生したすぐれた天然林ですので自然を損なうことのないよう注意して観察しましょう。秋田県』
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神社の鎮座地が頂上かと思っていたので、戻れるのか少し不安になってきました。
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眺望もむしろ良くなってます。
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きっと尾根を歩いているのでしょう。
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二等三角点がありました。
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三角点の横にも何かがあった痕跡。もしかしてさっきの石灯籠の火袋はここにあったものかな。
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途中、石の間を通り抜けたら…
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ロープゾーンになりました。
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39.5
このくらいの傾斜なら別にロープも必要ないかな・・・
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って思っていたのですが・・・
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落ち葉や石で結構滑ったりしたので油断はしないでくださいね。
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ロープゾーンを抜けました。
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急に視界が開けました。
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下山コースで間違っていなかったようです。
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ここから駐車場まではすぐです。
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まっすぐ道なりに下っていくと…
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47.5
ここに出ます。
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