
秋田県横手市大森町八沢木宮脇。国指定重要文化財。

県道265号を挟んで向かい側には、ほろわの里資料館があります。

鳥居。

重要文化財波宇志別神社神楽殿のあらまし…『保呂羽山波宇志別神社の創立は縁起によれば奈良時代中ごろの天平宝宇元年(757)と伝え、延喜式神明帳に記載される県内屈指の古社である。本殿はここから4キロメートルほど西方にある標高438メートルの保呂羽山の山頂に鎮座する。神楽殿はかつては弥勒堂とも本宮とも呼ばれ、大友家と守屋家が両別当として永く守り伝えてきた。毎年5月8日の例祭では、湯立神楽の神子舞が行われている。建立年代は室町時代の末ごろと考えられるが、太い柱や巨大な舟肘木や桁など、簡素で雄大な構造は古代建築の風格がある。形式は両流造という珍しいもので、木材は主に杉を用いており、内部の柱は直径52センチメートルもある。屋根は杉の手割り板を用いたこけら葺である。内部は背面寄りを三室に間仕切り、桃山時代初めの天正12年(1584)の墨書のある大規模な厨子を備えている。この厨子の壁板は鎌倉時代初め(1200年前後)に製材された杉材を用いていることが判明し、前身の建物の木材を再用したことが考えられる。平成2年から4年にかけて解体修理が行われ、建立当時の姿に復原を行ったが、軒から上方と側面の妻飾りの破風や懸魚は江戸時代初めの寛永14年(1637)修理時の形式となっている。神楽殿は室町時代の建物として貴重なものであるが、桃山時代に鎌倉時代の木材を再用して厨子を造りくわえ、江戸時代に軒と屋根の改造を行っている。しかし、その姿は平安時代風の雄大さを保っているなど、建物自体に数々の歴史的経過を秘めている。また神社は奈良時代からの由緒を持つが、ハウシワケという不思議な呼称はその起源を先史時代にまで導く響きがある。ここ千数百年の壮大な歴史物語の空間への入り口である。』

地図。
参道。
扇池。

橋を渡ります。
看板。

神楽殿。正面三間側面四間、両流造り(梁間二間の身舎に庇を付けた本格的な建築)は厳島神社本殿六棟に見られ、東北地方ではここだけで見られるものです。
波宇志別神社神楽殿は、本殿のある保呂羽山の東方4kmの位置にあります。太い円柱・舟肘木などの形式から室町時代後期(中期との資料も)の建築とされ、母屋の前後に庇を延ばす両流造りは東北唯一の貴重な建築物です。昭和55年1月26日に国の重要文化財に指定されています。平成2年10月から平成5年3月にかけての大修理を経て、中世往時の姿を今に伝えており、毎年5月8日の例祭では、巫女舞の神楽を行っています。
なお、神楽殿内には入れません。


Wikipedia「保呂羽山の霜月神楽」より…『保呂羽山の霜月神楽(ほろわさんのしもつきかぐら)は、秋田県横手市大森町八沢木の保呂羽山波宇志別神社に伝わる民俗芸能の霜月神楽である。霜月神楽は元は名前の通り霜月(旧暦11月)に行われる、神に収獲を感謝するための神楽で、元は旧暦11月7日・8日に行われていたが、現在は新暦の同日に行われている。保呂羽山の霜月神楽は湯立神楽に属する。波宇志別神社社家・大友家に縁のある近郊の神職らが集まって神楽を行う「寄合神楽」であり、寄合神楽の形態を伝える貴重な祭事である。1977年5月17日に重要無形民俗文化財に指定された。』
神楽殿の横は八幡堂跡。神楽殿前は散策路が整備されています。





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