
南津軽郡藤崎町藤崎四本松(舟場)。真宗大谷派八幡山稱名寺。元は弘前の専徳寺末寺。藤崎町所蔵の天和4年の絵図には「念佛堂」と記されています。入口正面の道はそのまま藤崎八幡宮の参道に繋がります。かつては入口に山門がありました。

江戸時代延宝3年の開基で、天和3年に本山の真宗大谷派東本願寺(京都)から寺号を受けたと伝えます。歴代住職は、開山が道誓(俗姓は藤川、藤崎出身)、二代了智、三代廓現、四代南暁、五代教巌、六代智龍、七代智観、八代西正(東本願寺から派遣された特選住職)、九代藤井光慶(七代智観の実弟の孫、池坊の流れをくむ生け花の達人)。


藤崎八幡宮の境内にある板碑はその碑文から南北朝時代につくられたものとみられますが、称名寺本堂玄関前の地中から出土したものであり、称名寺の地が南北朝時代から寺院のような宗教にかかわる場所であり、何らかの形で発展していたことの裏付となっています。また、境内からは依然表町の道路端に建っていたという板碑一基も確認されていますが年代等詳細は不明。


称名寺の本堂はかつて萱葺の古い建物でしたが、昭和38年に打上げ花火の火が屋根に燃え移ったことで焼失。3年後に鉄筋造りでトタン屋根の本堂に再建されました(昭和40年に火災で焼失、翌年再建という文献もあり)。なお、正午頃の火事であったため、寺宝のほとんどが無事でした。寺宝の中でも最も有名なのが御本尊の阿弥陀如来(高さ約63cm(二尺一寸)の立像)で、作者は不明ですが古今の名作であり、天和3年に本山から賜り願主了然によって安置されたものと伝えています。このほか七高祖像、親鸞聖人絵像の三本の掛け軸があります。七高祖は天親菩薩、竜樹大士、曇鸞和尚、道綽禅師、善導和尚、源信僧都、法然聖人の7人を描いたものです。いずれの掛け軸も絹に描かれ、筆致が優れており、地元の画家等によるものではないと推測されています。

称名寺…『八幡山称名寺は、浄土真宗大谷派東本願寺に属し、開基は、延宝3年(1675)僧道誓によったとされ、御本尊は63センチの阿弥陀如来で、作者は不明であるが、古今の名作といわれ、天和3年(1683)寺号と共に、本山から賜わったものである。今、藤崎八幡宮境内に保存されている暦応の板碑は、この称名寺境内から発見されたもので、このことから、中世時代既に寺院があったという説もある。』

裏手の墓地のすぐ先は平川の河川敷運動広場。

美しい岩木山をのぞめる場所です。
おまけ。ふじさき食彩テラスで一服。美しいソフトクリームをのぞめる場所です。



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