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上北郡六戸町折茂今熊。折茂集落から1kmほど北西の小高い丘の上に鎮座(駐車場もあります)。折茂の産土様。江戸期に決択された七戸南部三十三番補陀落所の第三十一番に選定されています(御詠歌「昔より建つとも知らぬ今熊野仏のちかひあらたなりけり」)。
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戦前までは3月16日と9月16日の春・秋の例大祭ともなれば、参道両側や入口付近に露店が立ち並び、今日では想像もつかないほどの賑わいだったそうです。春の大祭では馬持ちたちが馬を着飾らせ、参拝に来て馬の安全を願ったり、一の鳥居前のオサゴ場(霊水が湧き出ている場所で蛇神を祀る場所)付近から笹の葉をとって、自分の田んぼの水口に突き立てるという風習もありました。そして田植えが終わった天祈り(テノリ)の頃になると奉告祭を兼ねて、境内で折茂神楽が奉踊されたり、草相撲大会なども催されたそうです。
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一の鳥居前のオサゴ場です。
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(六戸町史)…『(前略)その歴史は語りつくえないほど古く、往時には、押すな押すなの参詣者でにぎわい栄えた神社でった。一の鳥居前の道は、下田と三本木をつなぐ旧道で、50メートルほど東側の旧道沿いにはわき水が流れ、薬師如来石仏がたたずんでいる。建立年月日は銘記されていないが、江戸期の造作と思われ、目を患った者は、このわき水で洗えば治るといわれ、この石仏を清掃しなかったためにとがめられて、目が見えなくなりかけたという老婆が折茂新田にいたという。このわき水近くに龍光院が住居を構えていたとも伝えられ、六戸の熊野信仰は、ここから発生したといっても過言ではない。』
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オサゴ場の小祠。
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参道。
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参道鳥居付近。
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下調べでは参道両脇に樹齢300年近い老杉が立ち並ぶとあったので鬱蒼としているのかと思いましたが…
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すっきりしています。
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一之鳥居跡。
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参道。
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灯籠二対(昭和60年9月16日苫米地春美、昭和62年9月16日十和田市-上山徳弥・十和田市-古舘セツ・十和田市-大橋ミキ・洗平-川崎ミツ)
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鳥居。
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鳥居額束神額「今熊保食神社」(昭和60年旧3月16日氏子一同)。
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参道。
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御神木。
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六戸町では最も古い神社といわれていますが、その縁起については明治24年3月19日夜の折茂大火により、岡田家で保存していた史料・記録一切を焼失。現在では社殿や苔、参道両脇に立ち並ぶ樹齢300年近い老杉(※ありませんでした)、社殿裏の5m以上の太さの幹を持つ大杉(千年杉)などがその歴史の古さを伝えています。
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言い伝えによりますと、戸来の多門院一族が文明年間、今熊神社を現在の古里(折茂字今熊一番地)に創建したといい、現在その場所には小祠があります。多門院文書によりますと慶長年間には既に龍光院という修験者が別当として名を連ねています。
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芝が敷かれていて綺麗な参道です。
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社殿前鳥居。
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参道を振り返るの図。
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参道。
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石灯籠一対。火袋欠損。
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嘉永3辰庚年6月15日別當龍光院、吉田判右エ門、吉田貞助。
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幟立て(六戸町大字折茂大西十藏・上北郡野辺地町山田トメ奉納)
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参道。
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狛犬一対(家内安全、昭和6年旧3月16日建之、上北郡六戸村大字折茂、外山要助、大西万藏、石工川村太吉)
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台座社名は「今熊保食神社」
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末社の蒼前神社。
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棟札3枚。「奉納蒼前神社」(裏面不明)、「蒼前神社」(昭和54年旧3月16日)、「奉上棟天之御中主神家運長久栄昌守 岡象女神 五帝竜神」(平成7年12月23日吉)
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末社の白山堂(上棟天之御中主神白山堂、平成14年9月16日奉築、棟梁苫米地薫、願主折茂町内会氏子衆一同)
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末社の薬師堂(奉上棟天之御中主神薬師堂、平成14年9月16日奉築、棟梁苫米地薫、願主折茂町内会氏子衆一同)
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「これらの桜は宝くじの社会貢献広報事業として植栽されたものです。平成26年度宝くじ桜寄贈事業・公益財団法人日本さくらの会」
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桜!! (゚Д゚;≡;゚Д゚) 
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今熊記念碑(昭和3年12月15日今熊ミサ建之)。※堂内にこの記念碑を囲む昔の人々の写真が飾られています。
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文化4年4月に多門院から盛岡の修験者総録白光坊に提出した「宗門改め帳」によりますと、「龍光院四十八歳 女房四十七歳 子福松八歳 伯父権之助六十九歳 女房六十七歳 子辰三歳 清助七十一歳 女房七十歳 太郎三歳 三蔵二十六歳 女房二十二歳 〆十一名 山伏一人 俗男六人 俗女四人」とあり、11人の大世帯でした。恐ら八歳の福松が龍光院(今熊萬吉)を継ぎ、記念碑に刻まれているミサはその娘と思われます。龍光院は延享3年の「多門院文書」(霞小村渡指置覚)によりますと、折茂・新田・今熊・堀切・ひさ久保・河原・六日町・伝法寺・泉田・羽立・たかこ村・藤島村・小田・和島などをカスミ(支配地)として御札を発行したり、祈祷を任されたりして生活の資としていましたが、明治の神仏分離・修験制廃止によって収入が無くなり、農業では生活ができなくなり、遂に鰊漁に生活の場を求め、北海道の小樽へと一族そろって渡ったようです。そのため、現在折茂には今熊の姓を名乗る者はいないようです。この記念碑は異郷の地で亡くなった龍光院(今熊萬吉)を供養するとともに、今熊家が北海道で成功して記念碑を寄進できるほど経済的に成長したことを故郷に報告するための記念碑です。この記念碑の除幕式の際には村の檀那たちが集まり、今熊ミサを交えて盛大に祝った時の写真が折茂護摩堂に所蔵されています。そして今日では代々別当の血を引く岡田家が神職として任に就いているそうです。
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創立紀念碑(大正5年12月折茂青年團)…『諸君ハ實ニ木團ノ根幹ニシテ功勞特ニ顕著ナリ 茲ニ上山氏移植ノ樹側ヲトシテ紀念碑ヲ建立シ永ク其ノ偉績ヲ表彰ス 功労者 吉田規、折舘文吉、長嶺連太郎、上山末松、(下部)吉田仁三郎、吉田新太郎、岡田市次郎、苫米地市之助、鈴木友記、吉田庭橘 第二回大正十一年』
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熊の宮辰見(熊野宮辰見草相撲の碑・折茂出身力士)を供養した記念碑(大正6年旧7月14日合掌建之)。この碑は彼のファンたちが熊野宮の豪壮ぶりを後世に残し、彼のような力士が再び村から輩出できるようにと願った記念碑です。
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裏面下部に熊ノ川磯吉、熊ノ坂石松、熊ノ石福松、熊ノ宮専助、熊ノ里末松、行司文次郎とあります。
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巨木。
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今熊神社のスギ(六戸町文化財(天然記念物)指定第7号・指定年月日平成4年11月30日)です。
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スギ越しの社殿。
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今熊神社のスギ(由来)…『このスギは、今から約四百年前の慶長年間に、本山派の修験者大泉坊という山伏がこの地に薬師如来を祀る場所として、新熊野堂(今熊神社の前身)を建立し、この祠を守るために植えられたものと言われている。幹回り4.2メートル、高さ30メートル以上もあるこのスギは、幹が中央部分で4本に分かれるという杉としては大変珍しい形状を呈している。今熊神社の古さは、境内の鰐口(参拝のおりに鳴らす軒に吊るされた大きな鈴)が、安政六己未年六月十五日(1859年)に奉納されていることからも推測でき、杉の木とともに長い歴史を感じさせる象徴となっている。』
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社殿裏に5m以上の太さの幹を持つ大杉(千年杉)があるとのことですが、こちらは社殿前ですし、幹周も異なりますね…
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ってことで社殿裏へ。
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裏参道鳥居(平成27年9月16日(羊年)奉納者苫米地薫、苫米地力、苫米地秋男、豊川忠悦、小野寺正勝、苫米地文男、横澤賢司)
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崩壊している石灯籠など。
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裏参道。
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上記で紹介したスギ以上の巨木は見当たりませんでした。何らかの理由で倒木・伐採されたのか、もしくは上記で紹介したのが千年杉かも知れませんね。
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社殿。
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保食神を祀る農耕の神であるとともに馬護神でもある今熊保食神社。明治の神仏分離が執行されるまでは今熊神社と呼ばれ、次第に今熊保食神社という呼び名が正式名称となりました。昭和48年11月4日付「日刊東北」において郷土史家の故苫米地繁雄が、京都市下京区(東山区)今(新)熊野の今(新)熊野神社が応仁文明の乱(1477)の戦火によって荒廃する前に折茂の地へ勧請したと説き、次のように記しています。『折茂今熊野神社の祭神は保食神として祭られている。この神は伊勢神宮の外宮の祭神であって、熊野神社には祭祀されていない農耕神であるから、明治五年修験宗廃止の太政官布告が出され神社改めのとき、別當龍光院が廃社にすることをまぬがれるために、熊野神社には無関係な祭神を届出した時から「保食神」が祭神になったものと考えられる。』
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『折茂今熊神社の草創は、熊野信仰の伝播としての京都今熊神社の分霊と考えるのが妥当かと思われる。平安時代末期、後白河上皇は「蓮生坊」と称し、紀州(和歌山県)熊野三山へ、34回にわたる参詣を行っている。この熊野参詣は、延喜7年(907)宇田法皇の御幸に始まり、この後、上皇・法皇たちの参詣を含めると、100回以上にものぼっている。この熊野参詣は、信仰の旅であるとともに、平安貴族の身心の鍛錬という名目もかねていたが、それには、多くの経費を朝廷が支出するばかりではなく、沿道の庶民にも多くの負担がかかった。そこで、後白河上皇は、永暦元年(1160)、京都の東山に新(今)熊野神社を勧請したのであった。永暦元年10月16日の「百練抄」には「奉移熊野御躰於新造社壇、今熊野是也。上皇御願也」と記され、その御祭神は伊弉諾命である。そして、後白河法皇は、灯油料として荘園28ヵ所を寄進し、国司に命じてその荘園から税金をとることも禁じている。仁安2年(1167)、上皇は今熊野神社におこもりになり、社殿の保護に努めるなど、上皇参ろうは150回余りにも及んだという。いわば京都における熊野信仰の総本社的存在であった。その後、院政時代が終わり、武士の世になると、今熊野神社も衰退し、とうとう応仁の乱で京都が荒廃することにより、京都今熊野神社も官幣社から一村社として規模を縮小するに至った。確かに六戸地方は、熊野信仰が盛んであった。犬落瀬の熊野神社や元宮の鎮座にまつわる伝説のほか、「熊野牛王宝印」を所蔵する旧家が多い。熊野牛王法印とは、熊野さまの神使といわれるカラス印を梵字まがいに刷った護符のことで、極めて神聖視され、特に起請文の料紙や武士の主従間の誓紙に用いられたりしたが、特に六戸地方の場合、テンニャグバサマ(無資格の助産婦)の家々で、子安さま(安産の神)の呪術品「カラスコ」として、カラスの部分を切って産婦に飲ませたほどであった。』(六戸町史)
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明治初年の新撰陸奥国誌によりますと『今熊神社 境内百二十坪 本村の子亥の方十二丁三十間にあり 祭神保食神 本社五間四方茅葺南向 拝殿四間に三間 石狛犬二頭 石燈籠二座 鳥居一基 当社何の比よりの鎮座にか詳ならす五穀成就の為にとて堰上に祀しなりとて遠近より参詣夥多し慶長の比より竜光院と云る修験別当し明治四年竜光院帰農し今熊万助と称し奉祭せしか本村に住す今は弦木又蔵か司となる』と記されており、代々龍光院が別当を務め、復飾して今熊萬吉になったといいます。
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蟇股裏側。
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拝殿神額「今熊保食神社」(吉田友治、藤川福太郎、吉田野惠、廣田孫市)
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東奥三十三番第三十一番札所(南無大慈大悲観世音菩薩「昔より立つとも知らぬ今熊の仏の誓い新たなりけり」)とありました。
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拝殿内。
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こちらの神額は「今熊神社」(昭和13年旧3月16日、六戸村消防組第三部部長長嶺伊八郎、小頭折舘円次郎、仝吉岡善太郎)
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本殿内中央には御神体が納められ、その御神体は「今熊大神」と刻まれた御神鏡で、その傍らには木彫の観音像が脇侍として奉安。御神鏡は錦の布に包まれた銅鏡で紀年銘はなし。観音像は首が欠損した正観音立像で、天衣には菊の紋章が刻まれており、舟形光背の裏面に「京和元年九月吉日南無大慈大悲正観世音菩薩 大休作」と墨書きされています。
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本殿には5枚の棟札が納められていますが、すべて明治以降のもので、(棟札1)神仏分離・廃仏毀釈・修験宗廃止の太政官布告による難を逃れるため、明治7年に保食神として奉斎宣言。(棟札2)明治14年に折茂新照山結社(日蓮宗の法華堂)を創建した吉田重作が祠掌に当たっている。(棟札3)明治40年、吉田伊八に宮司の職が移り、昭和30年に岡田稔美が宮司としてその任務に就き拝殿改築。(棟札4)昭和38年に杉2000本を植林。(棟札5)昭和47年本殿修築、といった内容です。※(棟札1)表「奉齋今熊神社保食大神村中安全五穀成就令守護賜」裏「祠官弦木直道 維持明治七年甲戌大陰暦六月十五日 組頭 沼宮内秀得」(棟札2)表「青森県管下陸奥國上北郡折茂村鎮座 今熊神社々宇修繕之棟札」裏「明治十四年七月九日今熊神社祠掌吉田重作 同氏子惣代吉田貞藏、吉田徳治、沼宮内又次郎、吉田末治、吉田廉助、米倉兵太、苫米地倉之助」(棟札3)表「奉鎮祭 屋船 手置帆神 久久能知神 屋船 豊受姫神 彦狭知神 今熊保食神社拝殿改築」裏「責任役員吉田夾一 同高坂勝 氏子惣代苫米地勝次郎 同外山善吉 同吉田友弥 大工頭領 三本木市傳法寺羽立 成田禞松 大工 六戸村大字上吉田 吉田源蔵 大工 三本木市深持 中野渡義一 〃 六戸村折茂新田 新山石男 〃三本木市深持 中野渡正男 〃中野渡平男 昭和三十一年四月二十四日落成式執行齋主岡田稔美 同吉田兼松 同長嶺栄次郎 同米倉健次郎 同古里要之助 同沖澤義孝 建築請負者六戸村高屋敷 鳥越建設会社社長鳥越千代志」(棟札4)表「昭和三十八年旧三月十六日植林執行斎主 宮司岡田稔美 氏子總代沼宮内次男 同小野寺友吉 同小倉克清 同米倉健次郎 同吉田友弥 同高坂勝 同小向松藏 同古里要之助」裏「奉鎮祭 大地主 大神 今熊保食神社地植林杉弐阡本」(棟札5)表「奉鎮祭 屋船 手置帆神 久久能知神 屋船 豊受姫神 彦狭知神 今熊保食神社本殿改築」裏「氏子總代米倉健次郎 苫米地兼太郎 吉田友次 高坂勝 外山善作 吉田兼藏 吉本末松 古里要之助 昭和四十七年四月二十一日修築落成 宮司岡田稔美 棟梁 十和田市 苫米地薫 四十二歳」
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鉞かついで熊に跨る金太郎(三本木村大字赤沼、沼岡勘藏書。奉納明治37年9月29日、家内安全、願主折茂村上山榮吉、上山末祐敬白)
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こちらは今熊保食神社からほど近い場所にあった鳥居。
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山ノ神・龍神神社です。
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