
上北郡六戸町折茂大道。折茂集落の南方。田んぼアートが行われる場所の北方。六戸町折茂には今熊という地域がございますが、その地域よりもやや南方になります。その今熊にある今熊保食神社(御祭神保食神、勧請年不詳、元禄4年再建。旧薬師堂・旧熊野堂・今熊内野)の末社的な役割を果たしている社であり、一般的な地図では「今熊神社」と記されているのがほとんどかと思います。よって今熊保食神社と勘違いする人も多そうです。

このように普通の地図に載っている神社なわけですが、社殿は完全に私有地内にあるような感じでして、門もしっかりと閉まっているので気持ち的に(不法侵入しているようで)参拝できませんでした。外からでも全貌はわかりますけどね。なお、現在の折茂護摩堂は護摩堂というよりも神楽宿(道具の保管場所)としての役割を担っているようですが、地元人の神に対する畏敬の念は薄れていないといいます。

元々は切妻平入り流れ造りの祠堂で、地元の人々は「ゴマド」と呼んでいました。このゴマドとは護摩堂(折茂護摩堂)のことであり、今熊保食神社が村の北西の1kmほど離れた高台に鎮座しているため、折茂集落の中にも今熊さまを分霊して祀ったのが当護摩堂というわけです。今熊保食神社別当の龍光院が堂内において護摩焚きをして、村人の無病息災・悪疫退散の加持祈祷を行っていたようです。

未確認ですが、一間四方の内陣には、御神体として今熊神楽の権現頭が二体納められています。今熊神楽連中は、ここで神楽を奉納してから村へおりていきました。外陣には昭和14年正月に撮影された今熊神楽連中の写真や、新築される以前の護摩堂と岡田家(今熊ミサが北海道小樽市へ鰊漁のために移ることになった後、代わりに別当に就いたのが岡田家)の人々の写真、おこもりしている女性たちや龍光院の子孫であった今熊ミサの写真などが飾られています。

護摩堂は昭和50年3月16日に新築されましたが、他に古いものとしては、雅楽面が13枚、元治元年(1864)7月10日「御宝前 願處成就」と記された奉納額、大正7年8月13日に八戸町糠塚の人々が奉納した献額「今熊保食神社」(八戸湊町町長・書道家、久保節書)もあります。また、鰐口(直径16cm、周径46cm)も古いものであり、表には「奉納安政六己未年六月十五日」、裏に「五戸在折茂村徳右門」と刻みます。徳右門は折舘徳之助の祖先。鰐口は元々今熊神社に所蔵されていたもので、後にここへ移されたものです。

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