三戸郡五戸町切谷内佐野。佐野部落の五戸川近くに鎮座する佐野の若宮正八幡。部落中央から100m大森寄り。産土神。


例祭日は4月14日、8月17日、12月14日。

狛犬一対(慶応3年丁卯9月吉日建立)
弥助の氏神(先祖の守り神)で、200年以上前からあったものを村の神様として現在地に祀ったものと伝えます。御神体は元々唐金という説がありましたが、子どもたちが古川に沈めてしまったため、現在の御神体は八戸の石工安藤長兵衛作の石像となっているようです。天保年間は茅葺きで、嘉永7年7月にお位寄進、若宮八幡宮大神位とあって豊川弥兵衛、豊川孫八、豊川忠助、豊川定吉の4人が名を連ねます。文久2年にお位寄進によって若宮正八幡宮大神位=豊川弥兵衛、その後、明治15年改築し、現在はトタン屋根になっています。
狛犬一対(昭和41年4月4日(旧3月14日・氏子戦友会、八戸市小中野栄町番地石材店刻)。
社殿。
社殿向拝蟇股・木鼻等。
向拝神額「若宮正八幡宮」。

拝殿内。戦時中は出征兵士が出発する前に、「いくさの神様」ということで必ず参拝したそうです。
手水石。

石灯籠(昭和31年3月14日・佐野部落一同)


社殿の周囲には樹齢150年以上のイチョウをはじめ、松、オンコ、雑木が繁っています。


こちらの建物にはコウヘンサマ(男根)が祀られております。

コウヘンサマ。

棟札には諏訪神祭神建御名方神、明治44年旧7月朔日、祈誓御一新ニ付奉三上棟、宮守豊川金八(ほか大工2人の名)とあります。

小祠。こちらもコウヘンサマ(男根)。2枚の棟札には昭和40年旧正月16日宇津宮大明神、昭和8年旧12月21日、大工豊川芳太郎などと見えます。※ちなみに下調べしていた資料によりますと『(前略)十糎の男ね1本と2枚の木札が置いてあった。万延元年7月28日諏訪神祭神、もう1枚の札は昭和40年正月16日、宇津宮大明神、奉納されている小さな鐘には豊川きくよ(明治42年8月9日生=68歳)52年12月1日に作成して納めている。あと一つの祠も三十糎の男根2本が座フトンの上にまつられていた。木札をみたら昭和4年3月2日、諏訪神祭神と記入されている。鈴がねが古くなって豊川きくよ(68)が51年3月14日納めている。2つのホコラとも通称「こうへんさま」と呼ぶものだった。昔の女性は3年以内に子宝が授からないと離縁されたという話をよく聞くので、この祠にも若妻のお参りした跡があった。(後略)』とありました。

本殿覆屋。

「八幡」と彫られた石(中市武左衛門、孫六、又兵衛、又十良、弥兵衛、七衛門ほか)。かつての石灯籠の一部でしょうか。

山子記念碑(昭和14年7月建立)。豊川佐吉ほか会員11人(豊川萬之丞、野村竹次郎、野村源太郎、豊川芳雄、豊川勘次郎、豊川市郎、豊川徳三郎、大山兼藏、大山栄之丞、豊川萬太、豊川藤蔵)の名が刻まれています。

明治27、8年戦役征清記念碑(明治33年7月15日、陸軍歩兵一等卒野村定太郎、豊川栄太郎)




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