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八戸市石堂3丁目。
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石堂村は現在、西端が景観的には長苗代村と一体化しており、どこからが石堂村なのかは住居表示を見ないとわからない感じです。土地区画整理事業により幹線道路が建設され、多くの団地と住宅が立ち並びます。
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ちなみに上の写真は貝鞍稲荷神社ではなく石堂1丁目に鎮座していた若宮八幡宮です。※ここから下が貝鞍稲荷神社です。
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鳥居紀年銘は平成12年8月吉日。
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引き続き石堂村についてですが、新撰陸奥国誌には56軒の家数がみえ、土地は痩せていませんが、洪水の影響が大きく、ジャガイモを植え、北海道へ出稼ぎに出ているとあります。古い地形図では石堂村は水田の中に浮かぶ島のように見えます。馬淵川は江戸時代から何度か切り替え工事が行われ、かつては石堂村の北を流れていた馬淵川が村の南を流れるようになったといい、北を流れていた痕跡が地形図から読み取れ、現在の地図からも旧河道が読み取れます。境内にある案内板「貝鞍神社とキリスト日本渡来伝説」からも何となく当時の村の姿が見えてきますね。
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狐一対(平成10年6月吉日、田名部孝太郎建之)。
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7.5
切株。
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神社前の木が凄い伸び方をしていますね。
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線路側(社殿正面)の沼。
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その沼に向って伸びており…
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よく見たら根元で木が繋がっております。
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少し離れた場所から見るとこのような感じです。
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13.5
沼に入り水あそびするな!
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最初の鳥居及びそれに続く朱色の鳥居と参道は社殿の裏側になります。
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沼の手前で回れ右!!鳥居紀年銘は平成11年6月26日(田名部孝太郎建立)。
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手水石(昭和10年旧3月26日)。
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狐一対。
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石灯籠一対(昭和8年旧12月26日)。
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小祠。
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「嘉永二己酉年六月廿六日」と刻みます。
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「奉納 毘沙門天様 龍神様 大土主大神様 母子観音様 稲荷大明神」という碑がありました。
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石灯籠一対(安政6年3月26日)。
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狛犬一対(八戸市大工町石工杉本安太郎刻)。
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24.5
田名部という名字が多いですね。
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貝鞍神社は石堂の産土神で、創建は天文年間の頃と考えられています。
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現在の祠堂は安政2年に再興され、鰐口があるそうです。残念ながら拝殿内では拝めませんでした。下長苗代村誌によりますと、「貝鞍沼石堂の東部にあり、一段歩に満たざる円形の小沼にして、水の入口を欠くと雖も旱天にも涸れず連雨にも溢れずといえり、是れ原渕の跡なりしならんか、貝鞍神社あり、安政二年の鰐口あり」とあります。
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拝殿向拝蟇股。結構個性的な龍ですね。
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裏面。
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拝殿向拝。
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貝鞍神社とキリスト日本渡来伝説「伝・キリスト日本上陸最初の宿泊地(二ヶ月有余滞在地)」…『昭和10年(1935)に発見された「キリストの遺言書」(竹内文書)によって、一躍全世界の脚光を浴びることになった「イエス・キリスト日本渡来伝説」。以来七十有余年を経た平成の今日でも、新郷村戸来の「キリストの墓」を中心に、多くの人々のロマンを喚起しております。一連の伝説によれば、ユダヤでの迫害を逃れたキリストはシベリアを経て、日本を目指して南下。極寒の二月、日本にたどり着いた一行は、二十六日隣接八太郎地区の蓮沼神社の地に上陸。丘陵沿いに進み、当社の地に日本上陸最初の宿をとったとされています。ここで二ヶ月有余滞在、日本での安住の地を探し求め、戸来岳・十和利山を目指して旅立ったとされます。「貝鞍」の名称は「船を留めて宿泊した場所のこと」石堂・彦惣・石切・八太郎の地名や言葉もキリストに由来すると解釈されています。』(郷土史家江刺家均)
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ロマンがありますね。
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