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秋田県湯沢市高松番沢。川原毛地獄は秋田県湯沢市高松番沢にある噴気地帯及び霊場です。青森県の恐山、富山県の立山と並ぶ日本三大霊地の一つと言われます。近くには川原毛大湯滝があります(※別記事にしております)。
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標高は約800m。塩酸酸性の熱水噴出により、1.0×0.4kmの範囲にわたって溶結凝灰岩の源岩が珪化し、灰白色の景色を擁しています。この範囲の中に水蒸気噴火によって形成された爆裂火口があり、火山ガスの噴出など現在も活発な噴気活動が続いており、状況次第で立入禁止の場所もあります。
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川原毛の酸性変質帯は県指定天然記念物(平成28年8月30日指定)。強酸性熱水と噴気作用により変質し、石英が主成分の白色珪化帯となっています。古くから人々の生活や信仰と深く関わってきた地域であり、活発な熱水活動を代表する地域として学術上貴重なものです。
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川原毛地獄「地獄を思わせる白い光景はどのように作られたのか?」…『川原毛地獄の白い山肌は、勢いよくふきだす酸性火山ガスの漂白作用によるものです。火山ガスは生物にとって有毒で、植物もほとんど生えていません。人々は、古くからこの光景をおそれうやまい、信仰と修行の場所としてきました。』
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川原毛地獄の案内…『川原毛地獄は、古くから羽州の通融嶮と呼ばれ、南部の恐山・越中の立山と共に日本三大霊地の一つであり、王朝時代から多くの修験者や参詣人が訪れ、女人禁制の山であった。大同2(西暦807)年、月窓和尚が霊通山前湯寺を建立、天長6(829)年慈覚大師が訪れ、法羅蛇地蔵と自作の面を奉納している。明徳4(1393)年、前湯寺は栴檀(せんだん)上人により三途川に移された。ここには血の池地獄や針山地獄など136の地獄があり、極楽もある。この先では熱湯が噴出して湯の川となり、川原毛大湯滝や川原毛温泉跡もある。硫黄の採掘は、元和9(1623)年から昭和41年まで344年間に及んでいる。有毒ガス発生個所がありますから、通路以外には立入らないで下さい。湯沢市』
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案内図(1.施餓鬼台-2.米つき滝-3.目蓮渕4.地獄森-5.前湯寺跡-6.山神滝-7.八幡地獄-8.山神宮-9.無縁塚-10.慰霊碑-11.法羅陀地獄-12.極楽地蔵-13.浄土長嶺-14.糞ピリ長嶺-15.染屋地獄-16.祭門地獄-17.酔翁森-18.剣地獄-19.内沢からふき-20.馬喰地獄-21.針山地獄-22.盗人地獄-23.賽の川原-24.賽の川原地獄-25.公衆便所-26.駐車場)。
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地図を片手にじっくりと回らないと正直どれがどれなのか分からないと思います。
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少なくとも私はこの案内板だけではよくわかりませんでした。
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ひたすらこのような白い世界が広がっております。
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一応記念撮影。
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ちなみに私は三途川渓谷から通称「上の駐車場」に向かい、そこから「下の駐車場」へと向かっています。ちなみに三途川渓谷(十王堂)については別記事にしております。
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上の駐車場から川原毛地獄を経由し、下の駐車場がある川原毛地蔵菩薩までの往復には約50分。川原毛地蔵菩薩から大湯滝には徒歩で片道15分程のようです。
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川原毛地獄は江戸時代以降、信仰の場から久保田藩の硫黄採掘場となっていきました。
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もちろん菅江真澄も川原毛地獄を訪れており、当時の様子を詳細に記しております。
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勾配はあるものの、そこまで疲れませんでした。
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ただ、この日は天気が凄く良かったので、真っ白な世界の照り返しがきつかったです。
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内沢ダム。
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山神宮。
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山神宮内。
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川原毛地蔵菩薩が見えています。
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ってことでゆっくりと散策しながら…
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川原毛地蔵菩薩がある下の駐車場まで来ました。
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ここから川原毛大湯滝を往復したのですが、川原毛大湯滝については別記事にしておりますので、リンク先からご覧下さい。
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三途川渓谷周辺探勝ご案内図より一部抜粋…『◎川原毛地獄…川原毛地獄は、霊山"かわらげ"ともいわれ、奇勝と雄大な風景はまさに地獄の様を呈し、南部の恐山・越中の立山と共に日本の三大霊地の一つになっております。また、この周辺には数多くの高山植物が群生し、春は新緑と共に華麗な花を咲かせ、秋は綿を織るような紅葉に満たされます。◎川原毛地蔵菩薩…川原毛地獄山の麓に大同2年(807)月窓和尚が、"霊通山前湯寺"と称する庵寺を建立しました。その後、廃寺となり跡地には現存している地蔵を安置し、以後その場所を地獄森と呼ぶようになりました。ここに昭和62年10月、市民の浄財により川原毛地蔵菩薩が建立されました。◎川原毛大湯滝…約1km上流で湧き出ているお湯と沢水が合流し、20mの高さから落下する、日本一の湯の滝。滝つぼと上下流一帯が、天然の露天風呂となっています。』
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川原毛地獄案内板より…『川原毛地獄山は、古くから羽州の通融嶮と呼ばれ、かつては南部の恐山、越中の立山とともに日本三大霊山の一つに数えられ、王朝時代から多くの修験者や参詣人が訪れた女人禁制の山であった。大同2年(807年)月窓和尚が霊通山前湯寺を建立、天長6年(829年)滋覚大師が訪れ、法羅陀地蔵と自作の仮面を奉献している。明徳4年(1393年)前湯寺は栴檀上人により三途川に移された。ここには針山地獄など136の地獄があり、極楽もある。地獄山から熱湯が噴出して湯の川となり、下流に大湯滝や川原毛温泉跡がある。硫黄の採掘は、元和9年(1623年)から昭和41年(1966年)までの344年間に及んでいる。』
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川原毛地蔵菩薩へ。
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手水石。
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川原毛地蔵尊。
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横にあった石塔。
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何かはわかりませんでしたが、赤い帽子をかぶせていたので地蔵菩薩なのかな。
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川原毛地蔵尊建立のいわれ…『ここ川原毛地獄山は、千二百年程前から「羽州の通融嶮」と呼ばれ、日本三大霊山の一つに数えられてきたところである。大同二年(807)、月窓和尚がこの地に「霊通山前湯寺」を建立して地蔵菩薩を勧請し、千日間籠山修行した。天長六年(829)慈覚大師が東北各地布教に際し、7月15日この地に地蔵尊像と自作の仮面二面を奉献し、村人を集めて法要を営んだ。從って、当時から多くの修験者や参詣人が入り繁栄した霊場であった。江戸時代に入り、秋田藩では鉱山開発を進めた。川原毛の硫黄採掘は元和9年(1623)から昭和41年まで344年間に亘った。昭和43年、この地域一帯が「栗駒国定公園」に指定された。この場所には、嘗て前湯寺があり、地蔵尊像が祭られ「地蔵森」と称した由緒の深いところである。地蔵菩薩は、非力なわれわれをあらゆる災いから守り、のぞみをかなえ導いてくださる佛様である。この地蔵菩薩像は、内外各位の寄進により因縁深いこの地に建立したものである。合掌 昭和62年10月27日撰文富谷松之助。「拝む心 手を合わす姿 佛智の恵み乃 光がとどく」建立者川原毛地蔵尊建立委員会、刻者湯沢市石材工業協同組合』
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地蔵菩薩について…『地蔵菩薩は、佛教の聖地インドで成立し、中国などを経て日本に伝来されたものです。「地蔵菩薩本願経」というお経の中に、地蔵菩薩は、私たち庶民を救うために、次のようなお誓いを立てています。一、土地が肥沃で作物に恵まれるように 二、家内が安全であるように 三、もし亡くなっても、天国に生れ変れるように 四、現世ではできるだけ長生きできるように 五、願望がよくかなうように 六、水火の災難がないように 七、過ちや、さわりを除くことができるように 八、悪い夢を見ることがないように 九、旅行しても無事であるように 十、ほとけ様にめぐり会うことができるように 現代風になおしてみますと、以上のようになりますが、地蔵菩薩は、私たちが今いるこの世では、非力でもだえ苦しんでいる姿をみて、守り、助け、そして利益を与えてくれるほとけ様です。又、地獄に姿を現したり、数々の地獄の名称や、罪報を説いていることから、地獄救済の専門家とも考えられています。地蔵菩薩は、童謡などにうたわれているように「地蔵様」とか「お地蔵さん」と呼んだ方がわかりやすく親しみやすいことから、子供の守り本尊という特色を持つようになったといわれております。川原毛地蔵菩薩像は、巾員15メートル、奥行13メートル、高さ1.5メートルの天然石築工による基壇の上に、更に1.5メートルの台座を築き上げ、その上に、高さ6メートルの白色御影石造り、錫杖持ちの尊像が鎮座しております。地獄の裁判官には十王がおりますが、それは次のとおりです。第一秦広王・不動明王、第二初江王・釈迦如耒、第三宋帝王・文殊菩薩、第四五官王・普賢菩薩、第五閻魔王・地蔵菩薩、第六変成王・弥勒菩薩、第七太山王・薬師如耒、第八平等王・観音菩薩、第九都市王・阿閦如耒、第十五道転輪王・阿弥陀如耒。唵訶訶迦毘三摩曳娑婆訶(オンカーカカビサンマイソワカ)。合掌。賽乃川原のものがたり…石ころばかり夛すぎて 賽の河原は歩けない 足のいたさに涙ぐみ しょんぼりする子を抱きながら お地蔵さまのこもりうた はかない水がつめたくて 賽の河原は深いやみ 右もひだりも分らずに まよっている子の手をひけば お地蔵さまのじゅずが鳴る』
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