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秋田県北秋田市綴子家向。二本杉神社(山神社)。
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綴子(つづれこ)はかつて「つつりこ」「つつれこ」とも呼び、鷹巣盆地の北部、南流して米代川に注ぐ綴子川流域部に位置。中心集落は中流域左岸部の山麓部に発達。地名は日本書紀の斉明天皇5年条記載の蝦夷地「肉入籠(ししりこ)」からの転化と伝えます。集落東方の山麓部から縄文前・晩期の遺物及び土師器・須恵器片等が出土。集落中央を羽州街道が横断。
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戦国期の綴子村ははじめ陸奥国比内郡のうち。浅利氏領。次いで秋田氏領となり出羽国秋田郡に編入。村名の初見史料は「浅利則頼侍分限帳写」(下川沿佐藤家文書)。浅利家の御歩行頭太田四郎右衛門・奈良田喜左衛門が綴子村に居住とあります。地元の伝えでは太田四郎右衛門は東接の糠沢村に居館を構え、当村には北館の奈良田喜左衛門・佐藤惣右衛門らが綴子八幡神社の神宮寺とともに浅利家から80石ずつの給地を認められていたといいます。上記の4氏とともに高橋・糟沢・藤島の3氏を加え、草分け百姓綴子の七家とも伝えられます。集落背後の舌状台地上に2条の東西に走る空濠を施した連郭構造の城館址があります。西側に2段の帯郭をめぐらし空濠は幅10m・深さ4.5m。付近に西館・東館・上館・下館などの小字が現存しています。慶長2年9月3日浅利頼平が豊臣方に注進した「領内村数覚書写」には「つゝれこ村」は家数50軒余、浅利家の家老浅利伝兵衛の管轄下にありと記載。この時既に豊臣秀吉は当村を秋田実季当知行下の秋田郡内の村と認定していました。「慶長6年秋田家分限帳」では、綴子村455石は秋田家蔵入地に指定のうえ代官所支配の村と記載。なお、内館(現東館)にある綴子八幡社は鎌倉期建立の伝承を持ちます。
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江戸期以降の綴子村は出羽国秋田郡北比内のうち。秋田藩領。羽州街道の整備により宿駅場に指定、津軽藩の本陣も置かれました。この中で抜擢されたのが高橋八郎兵衛家であり、侍宿を兼ね、時には本陣も引き受け、慶安2年に高橋弥兵衛が親郷肝煎に任命されて以来幕末まで同職を世襲。一族は久保田給人となり、同家も苗字帯刀を免許。交通の要地として、当村名は藩政初期以来の記録に見えます(政景日記・義宣家譜など)。米代川氾濫原や綴子川上流山間部の開発も進みます。元和3年に藩家老梅津憲忠から大館給人羽生縫殿丞に宛てた当村内開発の指紙(大館佐竹文書)などがあります。「正保国絵図」及び「元禄7郡絵図」では本田当高859石余と図示しますが、正保4年後竿検地時に既に村高1,245石余。「享保黒印高帳」では村高2,106石余・当高1,484石余(うち本田736・本田並77・新田671)と認定。既にこの頃には「享保郡邑記」で寄郷として当村とは別記する糠塚・大堤・黒沢開の3ヶ村及びその枝郷9ヶ村、当村枝郷と記す田中・掛泥・樋口・樋口羽立・知子内の5ヶ村など、すべて当村の枝郷扱いとなっていたとみられ、戸数は293軒(うち枝郷分171)となります。本郷町場への移転で廃村となる枝郷も多く、「寛政村附帳」では枝郷に田中・掛泥・大堤・糠沢・向黒沢・大畑・二本杉・岩谷・一通の9ヶ村、当高1,585石余(うち蔵分1,174・給分411)、鷹巣・大田新田・長坂・早口の4寄郷を差配する親郷と記載。給分に大館給人の給地は見えません。この間、宝暦9年には町場の戸数135軒・宿家18軒と大集落。北方の山本郡境に至る広大な山林は、糠沢山など藩の御留山に指定。近隣村との入会山もありましたが、藩から割り当てられる強制杣出しは負担が大きく、寛延2年に肝煎高橋八郎兵衛と長百姓与兵衛らは代米上納と引き換えに杣出し廃止を訴えています。村鎮守八幡社は北比内8ヶ村87社の総社。他に神明社・観音堂・館神を祀り、八幡社別当の当山派修験神宮寺は小繋天神宮の別当も兼帯。曹洞宗珠光山宝勝寺(下野国宇都宮成高寺末寺)のほか、修験宝光院・峯積院があります。神宮寺では寛政年間に儒者宮野尹賢の弟子般若院英泉を招聘し内館塾を経営。「天保郷帳」は1,484石余。安政期には当高1,321石余、397軒・1,737人・馬702頭。なおこの頃には鷹巣村は独自に親郷となっています。明治2~4年に秋田藩政庁仮出張所が設置(のち郡役所となり鷹巣村に設置)。明治11年北秋田郡に所属。明治7年綴子学校開校。同18~20年に19歳で校長として赴任したのが内藤虎次郎(湖南)。同22年町村制施行後も単独の自治体として存続。同22年以降の綴子村は北秋田郡の自治体名。明治22年市制町村制施行により、戸長高橋武三郎が初代村長に当選。村役場が字西館に設置されています。同22年の戸数518・人口3,093。農業用水に苦しんでいた村民は、昭和18年以来本格的にその対策に取り組んでおり、昭和21年に耕地整理組合を創設。同25年県営工事として米代川からの揚水による水路を完成。同31年9月鷹巣町に合併し鷹巣町の大字。昭和31年以降は鷹巣町の大字名。
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鳥居。
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参道。
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狛犬一対(大正10年11月18日、二本杉村中、発起人:佐藤三太郎、畠山熊吉、畠山喜市、畠山喜代松)
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8.5
うん!?
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この屋外収納庫は何!?ちなみに開きませんでした。
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ってことで、この謎の建物の脇を通りました。
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謎の建物が気になるー!
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参道の続き。
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謎の建物をバックに参道階段を登ります。
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14.5
参道を振り返るの図。
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到着。
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眺望はありませんが山神社って感じですね。
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社殿。
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蟇股は波兎。
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二本杉地区の村社。例祭9月12日。御祭神は大山祇神。
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拝殿内。ちょっと廃墟化している感…
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あれ!?本殿がありませんでした。綴子神社を本社とし、綴子各集落の守護神を本社に合祀しているとのことで、綴子神社のHPを確認したら令和4年8月28日「綴子二本杉山神社本殿遷座祭」とありました。
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両脇の社。
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山神社の神額があります。
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これは棟札かな。文字が書かれているようにも見えますが読み取れず。
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余談ですが、この後、二本杉神社よりもう少し北方の岩谷地区にある岩谷神社(観音神社)にも参詣しようと思いましたが、道は狭いし、何より携帯の電波が繋がらなかったので途中でやめました。方向音痴なので携帯の電波が繋がらないのは致命的です笑(後からグーグルマップで確認したらわかりやすい場所に鎮座していましたが)
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