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上北郡おいらせ町一川目3丁目。徳永稲荷宮。地図を見ますとこの付近に3つの神社が鎮座しています。どれが一川目稲荷神社なのかわかりません。稲荷神社が多過ぎて。ちなみに今回紹介するのは徳永稲荷神社で、近くに金光稲荷神社、更に近くに不明の稲荷神社があります。古い写真では鳥居が両部鳥居のように感じるのですが、資料等に「一川目稲荷神社」は掲載されているものの「徳永稲荷神社」という神社が見当たらないことと、あるもう一つの理由(下記参照)だけで徳永稲荷神社=一川目稲荷神社なのではないかと思いました。
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神社前は崖のように落差があります。
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参道は神社前を通り過ぎてなお遊歩道のように続いています。その方面(一の川沿い)にも神社(上で述べた不明の稲荷神社)があり、最初はそちらが徳永稲荷神社かと思ったのですが、この記事の社が間違いなく徳永稲荷神社だったので、もう一つの社についてはよくわかりません。
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境内社にしてはやや離れているので別記事にはしておりますが、土地勘がなく住所と地区名がよくわかっていません。資料を探れば他に存在する神社として横道稲荷神社がありますが距離的に離れていますし、とにかく近郊の神社が稲荷神社ばかりなので地元の方じゃないと判断が難しいです。そもそも「徳永」の由来もわかりません。別記事はこちら→『稲荷神社(おいらせ町一川目)
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社殿前参道。
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6.5
鳥居。
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参道。
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石灯籠一対(昭和42年旧3月3日)
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9.5
崩壊している石灯籠。
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10.5
こちらは「徳永稲荷…漁…」しか読み取れず。
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紀年銘は弘化2乙巳8月朔日。無格社である一川目稲荷神社の社前には神社の荒廃を恐れて、弘化2乙巳年に木村万右衛門が石を寄贈したとのことで、もしかしたらこの石のことではないかと思ったので、確信には至っていませんが上記のように「徳永稲荷神社=一川目稲荷神社」と考えました。
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手水石(明治34年6月24日建之、此連中)
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13.5
狛犬一対(家内安全、昭和59年3月3日、遠藤マツノ納)
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14.5
石灯籠一対(昭和6年旧5月3日、木村忠吾建之)
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一基は崩壊。
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狐一対(明治34年6月24日)
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17.5
社殿。御祭神は倉稲魂命。一川目小学校郷土誌によりますと、文政年間に先住者が村内の繁栄と大漁祈願のため産土神として小祠を建立。社殿は明治16年頃の建立で、更に明治32年9月3日に現在の場所に移ったといいます。
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拝殿向拝神額「奉納徳永稲荷神社」(平成6年5月吉日、代名遠藤一郎)
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拝殿内。祭日3月10日及び9月3日(旧暦)。毎年旧暦3月10日に部落民参詣し、一同相集いて酒宴を張り一日の娯楽としました。
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