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五所川原市金木町喜良市千苅。
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社号標「丹生川上神社」(大正6年旧4月17日)
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鳥居の鬼コ(力士ver)です。
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二之鳥居・三之鳥居。
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6.5
五所川原市HPより一部抜粋「喜良市地区の地名」…『天文年間(1532~54)の「津軽郡中名字」に奥法郡山辺のうちとして「忌来市」、「小田川」がでてきます。両村は下ノ切通に位置し、古くから通行の要衝でした。忌来市はその後、正保2年(1645)喜良市という名称になり、小田川は正保2年に小田河の字が使われましたが、正保2年以後は小田川の名称になっています。また、喜良市村を通る下ノ切通から西にはずれた所に野崎村がありました。喜良市村は正保2年の「郷帳」に256石余、小田川村16石、貞享4年の「検地水帳」では喜良市村414石余、小田川村402石余、野崎村464石余とでてきます。小田川村は現在の喜良市集落南側小田川の右岸に面した区域(現通称町名川端町、下町、柏木町のあたり)に、野崎村は喜良市集落の北西部(現通称町名野崎のあたり)にありました。野崎村は喜良市北西に突き出た崎となっており、その崎は標高約20mの平坦地で野原となっていたことから呼ばれた地名と考えられます。明治9年(1876)村落の統廃合により、これまでの喜良市村、小田川村、野崎村が合併した喜良市村が成立しました。忌来市の由来について伝承によると、昔小田川上流湯の沢に貴人(あるいは武将)が住み、土地の人が近寄ることを嫌ったことから、人がくるのを忌むという意味で忌来市と呼ばれたと伝えられています。喜良市の語源については「①ヒラ(坂)の転じたもので「傾斜地」をいうか。②キ(割)・ラ(接尾語)で割れ目・刻み目・谷間をいうか。いち(一、市)は位置と考えた方がよいようである。現在の喜良市は村が山麓が両側にあり、最中に田圃があり②がふさわしい」としています。ほかに、喜良市は「霧合地(きらいち)」つまり霧が立ち込める所です。また、キラは雲母の意味で喜良市は「雲母石(きらいし)」で雲母のあるところであったかもしれないという説もあります。正保2年(1645)の「郷帳」では「喜良市」となっており、「忌来市」は不吉だというので改められたといわれています。』
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石灯籠二対(昭和14年旧4月17日、明治35年4月小泊村西澤清太郎)
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8.2
8.4
8.8
イチョウ。
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狛犬一対(大正14年旧6月17日)
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10.5
御神木。
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御神馬(昭和37年旧6月17日、総代-近藤作之助、大橋慶太郎、小野善之助、桑田東太郎、伊丸岡永三郎、桑田吟作、氏子一同)
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社殿。
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御祭神は水波女神。例祭日は旧6月17日。上派立・下派立地区開拓の万治(1658-60)・寛文(1661-72)頃の勧請と推定。天正12年再建。明治6年に旧小田川村立野神社へ合祭し、明治8年復社。 昭和28年2月13日宗教法人設立登記。
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由緒等については過去の記事も参照ください。
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裏参道。
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