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山形県飽海郡遊佐町当山上戸。真言宗智山派剣龍山剣積寺。剣龍山薬師堂とも呼ばれていました。古来は鎮守の劔龍神社の別当として隆盛を極めました。
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2.5
御本尊薬師如来。荘内平和観音百八霊場第七十一番札所「真剣を十振二十振積むよりも法の力のいや勝るらむ」。
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南無阿弥陀佛。
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寺領紀念碑(山口彦總書)・八面観音。
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故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級阿部國男之碑。
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庚申塔。
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衆徒六坊あり剣積寺が学頭(劔龍山浄光院劔積寺)。別当坊、宝蔵坊・宝泉坊・般若坊・極楽坊・安楽坊・浄光院。大同元年に慈覚大師が薬師如来(剣龍権現の本地仏)を勧請して本尊に安置し創建されたと伝え、その後の記録は火災によってありませんが、永享元年4月8日に浄光上人が再興した天台宗の寺院。
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剣積寺は蕨岡の龍頭寺の隠居寺という伝承があり、明治元年まで蕨岡衆徒は剣積寺を鳥海山一の王子の薬師堂として4月22日に参拝していたといいます。
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創祀は大同元年(806)、開基慈覚大師が薬師如来を勧請し本尊に安置し奉り創建したことに始まります。伝承によりますと、鳥海山に悪鬼が棲んで村人を苦しめていたことから、大物忌神が神剣を振るって悪鬼を切り裂き、その際、頭が落ちたところに鳥海山大物忌神社の別当龍頭寺が建立され、尾が落ちたところが尾落伏村と称されるようになったといい、ここに剣龍山剣積寺が創始され、その宮殿(劔龍神社)に神剣が納められたとされます。神仏分離以降、劔龍神社拝殿に安置されていた薬師如来は剣積寺本堂に安置され、特に眼病に霊験があるといいます。※有耶無耶の関の手長足長退治の際に鬼が切断され、剣が鬼の頭と共に山に落ち剣龍山大権現(剣龍神社)として祀られ、剣は稲倉嶽小物忌神社の御神体の剣ともいわれます。
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飽海郡誌より…『劒積寺 字劒龍寺上戸ニアリ劒龍山ト號ス 東京眞言宗彌勤寺末ニシテ藥師如來ヲ本尊トナス寺傳ニ慈覺大師ノ開基ニシテ(元禄十七年二月廿一日書上)淨光上人ノ再興スル所ナリト(天保十一年十二月書上)云フト之レヲ確ムヘキ文書ナシ(但出羽風土略記ニ淨光ノ再興シ延慶元年四月ニ係ルモ據ナシ)本ト淨光院ト稱シ劒龍山衆徒六口ノ學頭タリ故ニ劒龍山劒積寺ノ稱号ヲ襲用ス第九世秀海江戸彌勒寺ノ法昹ヲ相續セシニ因ミ年月不詳彼末寺ニ屬ス明治三年社頭ヨリ分離シ眞言宗ヲ繼續セリ』・『薬師堂 本ト剣龍権現ノ本地仏タリ 安永九年八月八日焼失 天明四年ノ造替ニ係レリ 藥師堂 本ト劒龍權現ノ本地佛タリ 安永九年八月八日燒失天明四年ノ造替ニ係レリ(天明四年秋藥師如來萬人講奉加帳 當寺所蔵)巳ノ八月上方ヘ注文仕候 藥師如來尊像御姿ふすべ色にて坐像三尺五重臺舟後光以上御長七尺ニ仕候日光月光等兩尊者立像にて御長三尺ニ仕惣金箔ニ御座候 明治三年當寺ニ下附セラレ同四年三月十五日當寺五十二世隨息別ニ堂宇ヲ建立シテ之レヲ安置ス』
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