
八戸市吹上1丁目。曹洞宗松峯山(松峰山)心月院。「新寺」として親しまれています。藩政時代には新井田街道の寺町通と呼ばれた寺院が密集する一角。八戸御城下三十三観音霊場三番札所(聖観音)。

水子地蔵。

有縁無縁供養塔。

かつての類家村。江戸期は三戸郡のうち。はじめ盛岡藩領、寛文5年からは八戸藩領。八戸廻に属します。近世初頭は根城南部氏知行地で、元和3年の南部利直下知状(南部家文書)に「るいけ」、翌4年の同知行宛行目録(同前)に「るい家」とあります。村高は「正保郷村帳」140石余(うち田72石余・畑68石余)、「貞享高辻帳」140石余、「元禄10年高帳」520石余(田313石余・畑206石余)、「天保郷帳」415石余、「旧高旧領」587石余。用水は類家(勘太郎)堤、本寿寺前堤を利用。水不足時には町堰からも引水。「雑書」慶安元年7月の条に「三番雁 類家堤」とあり、盛岡藩領時代から鳥の狩猟場となっていましたが、正徳元年には同堤から鍛冶町下までが禁猟区と定められました。元禄6年9月、類家堤水門の石垣工事が行われています。「八戸藩勘定所日記」宝暦11年6月の条に「類家堤水無之ニ付、御町堰北側之方留方南側之方へ相通、右堤へ相下ケ申度」と見えます。火事は寛文8年4月に2軒、弘化4年6月に4軒を焼失。寺院は元和年間の開創と伝える顕本法華宗の正栄山本寿寺、寛文年間の開創とも延宝年間の開創ともいう曹洞宗の自淵山長流寺、寛文7年の開創とされる曹洞宗の松峰山心月院、寛永3年の開創と伝える曹洞宗の月峰山広沢寺があります。また、寛文8年から同11年までは臨済宗の月渓山南宗寺が、宝暦年間頃までは黄檗宗の万聚山玄中寺もありました。新井田方面へ至る道筋にこれらの寺が集中しているため「八戸藩日記」寛文7年9月の条に「寺町通」とみえます。江戸末期、地内の稲荷小路に家中屋敷が形成されたと考えられており、安政2年の「八戸藩勘定所日記」では屋敷替えの記載もみられます。明治初年には江戸から引き上げの旧藩士に屋敷が給され「類家屋敷割地図」「常府引越之族之当屋敷被下ニ付立会絵図」などが伝わります。明治4年八戸県、弘前県を経て、青森県所属。同初年の家数は54。明治12年の「共武政表」によりますと戸数66・人口438(男230・女208)、寺院3、学校1、水車2、牛19、馬49。同22年長者村の大字となります。


寛文7年(1667)、初代藩主南部直房から境内を拝領、新井田対泉院の宿寺として建立されたのが始まりで、新井田対泉院の末寺になります。御本尊は釈迦如来。開創は延宝3年(1675)、対泉院三世林南(安)儀道が行ったとされます。明治時代には宿寺制度廃止により本寺から独立し新月庵としました。大正15年に庵から寺へ寺格をあげて現在の寺名に改変し、対泉院19世東円嶺月大和尚が開山。
平成6年に本堂新築後、旧本堂を解体した際に庵寺時代の「潭底山(たんていざん)新月庵」の棟札が見つかっています。本堂中央には御本尊、その右に聖観世音菩薩、左に十一面観音菩薩が奉安されています。11月13日の年越し法要には厨子に収められた聖観音菩薩が御開帳されるようです。また、右手前には賓頭盧尊者、左側奥に三十三観音菩薩と不動明王が安置されています。不動明王は富山県井波町の仏師斉藤侊琳の製作で、樹齢300年の九州産クスノキを使用した一木造りで、高さは98cm(台座を含めると149cm)と市内最大級の高さです。

境内に一角には八戸藩二代藩主南部直政の頃に山奉行や火回役を歴任した八戸藩の剣客で居合抜きの名人である簗田平次の墓があります。また、南無阿弥陀仏(餓死精霊、明和5年2月5日(十三回忌)、念仏講)と刻む宝暦5年の飢饉の餓死供養塔や、元禄7年の有縁無縁三界萬霊菩提、天保6年8月28日の一字一石供養塔、寛政4年の大乗妙典一石一字三礼があります。

本堂唐破風懸魚、蟇股、木鼻等。
本堂扁額。

金剛力士像。
寺務所。

観世音菩薩。

七福神。

うん?!

ドラえもんとドラミちゃん








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