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八戸市十一日町。浄土真宗本願寺派平澤山(平沢山)本覚寺。八戸市唯一の浄土真宗本願寺派(京都西本願寺末寺)。近江商人系の菩提寺として知られており、檀家には近江商人が多いといいます。藩政時代いは近廻五ヵ寺のひとつ。御本尊阿弥陀如来(東雲作)。
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むつみ保育園もあります。
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「意味がなくてもやり続ければ意味がでてくるはず」上島竜兵・志村けん
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隣には願栄寺
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向かいには来迎寺があります。
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本堂。
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新しい感じですね。
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八戸藩二代藩主南部直政の時世、天和2年に家臣の八戸藩士池田先右衛門宗晴の開基とされ、他に外来宋任の大坂屋初代六兵衛がかかわっていたことが大坂屋の系譜「永世紀念禄」にみられます。開山は羽後国秋田六郷善証寺十三世浄心の子、五男南柳という名の僧とされていますが(新撰陸奥国誌)、「御領内寺院来由」によりますと盛岡願教寺の七男覚翁(學翁)とします。八戸藩日記の元禄14年6月条に「此度恪翁(覚翁)事、御目見ニ付て本寺之書付被指上、則本学寺ニ被仰付候」とあります。八戸藩初代直房に仕えた家臣池田先右衛門宗晴は熱心な浄土真宗の信者で、直房の許しを得て現在地へ小庵を建立し、これが本覚寺となりました。
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宝永3年の「御勘定所日記」によりますと、寺屋敷が類家の方へ張り出し堤の障害になっていたため、本籠の跡地(現在の長者山の下付近)へ替地が行われていました。替地後の享保8年、失火によって仮小屋を建てようとした際に檀家の人々が盛土整地や水抜き工事などを行ってでも湿気の多い町方に近い元の場所(十一日町)に戻りたい内容の嘆願書を出しています。檀家には近江商人と称する外来商人の大塚屋や近江屋などの豪商が名を連ねていました。明治時代初期には同じく近江商人の美濃屋が加わっています。このように嘆願書提出の背景には財力のある檀家がいたことで実現されました。
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親鸞聖人御像(七百五十回大遠忌記念、平成二十三年本覚寺門信徒一同)
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墓地へ。
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境内には二人の著名な人物の墓があります。一人は日本を代表する労働運動家片山潜の妻原たまです。明治7年5月14日に大工町原権平の四女として誕生。八戸尋常高等小学校卒業後に青森市大町の村林友次郎と結婚するも翌年離婚。明治30年に上京して活花、茶湯の習得をはじめ、茶道・華道を習得し、仙台・姫路で女学校の教員をし、退職後は上京して片山潜と再婚し二児の母となりましたが離婚し、病気のため八戸に帰り、昭和13年11月29日に番町活花教場で64歳で亡くなりました。
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そしてもう一人はなんと、大正15年の第2回国際女子陸上競技会個人総合優勝、昭和3年の第9回アムステルダムオリンピック女子陸上800mで銀メダリストの人見絹枝(岡山県出身)の墓(藤村家骨塔)です。
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誰でも一度は名前を聞いたことがあるくらい有名な方ですよね。お墓を見つけて驚きました。何でも人見絹枝には藤村テフという後見役の方がおり、この藤村テフさんが八戸市出身であったため、遺骨を分骨して本覚寺にある藤村家のお墓に納めたという記録が残っているそうです。
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骨塔(側面)より…『昭和六年八月二日 俗名人見絹枝 行年二十五才 釋尼蝶聲 俗名藤村テフ 平成十二年四月二日 行年九十一才 昭和六年十一月九日藤村榮太郎建之』
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人見絹枝(標柱より)…『日本人女性初のオリンピックメダリスト此処に分骨埋葬される。』・『1907年岡山市に誕生。1926年第二回国際女子競技大会に出場し、陸上五種目を制覇して個人総合優勝に輝いた。1928年オランダアムステルダムで開催された第九回オリンピックで、日本人女子初のメダルを獲得(800m銀)。1931年8月2日没』・『平成25年10月14日藤村洋子建之』
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