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青森県青森市桂木2丁目。午砲台公園。
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かつて午砲台の東方には火葬場があり、ドン山には午砲住宅が作られていたようです。国土地理院で1961~1969年、1974~1978年の地図を確認しても何も無いように見えます。
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ドン山(午砲台跡)。大正9年10月、青森市鍛冶町に住む柏原彦太郎氏が、市民に正確な時間を知らせるために室蘭の製鉄所で作らせた午砲台を青森市に寄贈。午砲台は昭和17年に強制回収され、同22年には午砲舎も腐朽崩壊し、翌23年に解体されて平坦な敷地になりました。その後、一帯は青森市の所有で、戦後の住宅難により25戸の市営住宅が建設され、それを午砲住宅と呼び、付近をドン山町とも呼んだそうです。
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青森市HPより…『現在ではテレビやラジオが正午の時報をお知らせしてくれていますが、青森市ではかつて大砲を一発鳴らして市民に正午を伝えていたのです。この大砲は「午砲(ごほう)」といい、当時は小高い丘だった場所に午砲を置き、ドーンと鳴っていたことから「ドン山」と呼んでいました。そもそものきっかけは、大正9年6月10日のことでした。「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」という、国民に時間の大切さを尊重する意識を広めるために「時の記念日」が定められた事が物語のはじまりなのです。青森のドン山の誕生には、二人の人物が関わっていました。大正10年、市会議員などを務めた鍛冶町(現在の本町)の柏原彦太郎は、当時としては大金だった1千円余りの私費を投じ、市民に正しい時間を知らせるため、北海道の室蘭にある製鉄所に午砲を作らせ、青森市に寄贈したそうです。そして、運営基金(1万円程度)として市へ寄附したのは大町(現在の本町)の篠原善次郎でした。このかたは大正15年にも6台の乗合自動車とお金を市へ寄附しており、「市営バスの創始者」と言われています。合浦公園内には彼の胸像があります。大正10年11月4日付の東奥日報は、午砲基金を寄附した功績によって紺授章を受賞した善次郎の祝賀会のようすを伝えています。その席で善次郎は、自分の寄附によって午砲が短期間で設置されたことへの喜びに加え、「人々が少しでも時間を守らなくてはならないという意識を持ってくれるようになれば、これに過ぎる満足はありません。」と語っています。午砲が置かれていた場所は、現在、公園になっており「午砲台公園」(桂木2丁目)として名前を残しています。そして、この公園の中を見渡すと…午砲がありました!平成6年に復元されたレプリカですが、今も公園内の小高い丘で、黒い午砲がドシンと陸奥湾を向いて構えているのです。この午砲は、これからも市民の「時」を見守り続けることだと思います。』
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「ドン山物語」(秋元良治)より一部抜粋…『むかし、国鉄の操車場裏側に土がもられた小山があって、そのテッペンに四本柱で支えられた屋根があり、その真下に午砲一門が陸奥湾の方を向いてデンとすえつけられていた。そして、いまのテレビやラジオが正午の時報を知らせるのと同様に、毎日、正午には午砲をドーンと一発鳴らして、青森の市民に時を知らせたものだった。(中略)特に冬の"ドン山"は、私たち少年にとって手頃なスキー場でもあったし、夏には、この付近の野原で、トラボ(バッタ)やダンブリ(トンボ)をとって遊んだりした。』
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ドン山(青森午砲台)…『毎日、正午に砲声一発"ドーン"と鳴らして、市民へ正午であることを知らせた。市民は、この大砲が設置されてあった山を"ドン山"と呼んだ。場所は、旧国鉄操車場の南側で、高さ6.97メートルに盛土した小山であった。国が、国民の生活改善の一環として、時間・時刻の尊重厳守を呼びかけ「時の記念日」を制定したのは、大正9年(1920)6月10日である。この記念日の趣旨を生かすために、青森市へ午砲を寄贈した人は、鍛冶町出身の旧家(八代)柏原彦太郎である。また、その運営費として一万円を寄贈した人は、後に青森市営バスの創始者といわれる篠原善次郎である。午砲は、室蘭の製鉄所でつくられ、実際に設置され機能したのは、大正10年(1921)のようである。以後、昭和17年(1942)、金属回収令によって撤去されるまで、20余年間、市民や近郊町村民へ正しい時刻を知らせる役目を果たした。また、危険のともなった砲手には、本間多七(最初)や、入間才吉(最後)を挙げることができるが、浦町小学校の小使いさん(現:技能主事)を勤めながら砲務の仕事をした、山田銀次郎の存在も大きかった。「私の一発を青森市民が毎日待っていた。」と生前よく語った。山は、子供だちの遊び場でもあった。また、子供たちは、発射時の一瞬のスリルを楽しむために、耳穴を指でふさいで待ったという。昭和22年(1947)、解体の運命をたどった。ドン山完成以前は、市民に蓮華寺の梵鐘が時刻を知らせたという。現在のドン山と午砲は、平成7年1月に復元したものである。』・Don Yama(home of the Aomori noon cannon)…『The cannon was made in Muroran iron works,and every day at noon from 1921 to 1942 a single boom (in japanese,"don") roared irom the cannon,letting the people of the city and the people in the surrounding towns and villages know that it was midday.The citizens called the mountain where the cannon was placed,"Don Yama".Today's Don Yama and the noon cannon are reconstructions,made in January 1995.』
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正面から。
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上部には「平成6年12月青森市」とありました。
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