
おいらせ町松原1丁目。この日は天気が悪くてご覧の眺望でございます。そういえば公園としての写真を一枚も撮ってませんでした。

明神山公園として綺麗に整備されているため詳細はわかりませんが、明神館跡(由来、築城時期及び館主不明)になります。

明神館は百石町中心部から北東2.3kmの地点、明神沼(日ヶ久保沼)の畔の丘陵突端にあたります。北半分(海側)は土砂取りで既に消滅しており、現在残っている南半分は北辺185m、東辺117m、南西辺240mほどのほぼ三角形。北側に土塁様のものと、南側に武者走り様のものが残っていますが、かつて「土鼻海防大砲御台場」となったため、以前のままか手を加えられたのかは判然としません。館の東に太平洋が迫り、南と西には奥入瀬川・明神沼があり、北側を固めれば堅固な館であったと考えられます。北側に通称「赤タクレ」に続いて横道の鯨森に接していて、一帯を沼端遺跡とも呼んで、昔は矢の根石、土器類がよく出たとのこと。また、「南部藩の寺社鑑」には青竜大明神とあり、即ち土鼻神社があります。なお、土鼻神社に関しては別記事にしております。

明神山公園…『園内には、航行安全・豊漁祈願の土鼻神社、昭和8年3月の金華山沖津波の記念碑、家畜の魂を慰める畜魂碑が建立されており、太平洋を眺望しながら、春は桜、夏はイカ漁の漁火を楽しめます。また、古くは南部藩設置の御台場があった所として有名です。』

御台場跡地。

御台場(大砲台)跡地…『徳川幕府は二百六十年以上続きましたが、外国との交易を禁じた鎖国時代の文化五年(1808)正月に幕府の命によって我が国の太平洋岸北部の海岸を守るため、五戸浦(今の八戸市市川町から三沢市天ヶ森)に至るまで(五戸代官所警轄区域を云う)警備用員として百七十名が配置されました。百石浜のこの高台には大砲を乗せる台場が築かれ、三貫目(約12キロの重さ)の唐銅製大砲「蟄竜」一挺が備え付けられた歴史上由緒ある場所であります。』

三陸大津波記念碑。朝日新聞社寄贈による大津波犠牲者の慰霊碑が建立されました。川口・明神下地区に被害が多く、深沢・一川目・二川目地区は前の津波の教訓により丘に上がった家が多かったため被害も少なかったといいます。

震嘯災記念碑…『維持昭和八年三月三日午前二時三十分四十八秒突如トシテ強震アリ爾后半刻ニシテ洋上遙カ大音響ヲ聞キ閃光ノ發スルヲ見ルヤ間髪ヲ容レサルニ海嘯ノ襲フ所ト為ル怒濤天空ヲ摩シ摧ケテ地上ヲ濯フ一瞬多數ノ生命ヲ奪ヒ財産ヲ拉ス阿鼻叫喚ノ聲随所ニ充チ其惨状言語ニ絶ス事 天聽ニ達シ畏クモ救恤ノ資ヲ賜フ 皇恩無窮感激ニ堪ヘス聖旨ヲ奉戴シテ官民一致此間ニ豦シ孜々トシテ之カ復興ニ懋メ其方途ヲ謬ラス全國ノ同情亦翕然トシテ聚リ以テ罹災民ヲシテ能ク其全キヲ得シメタルヲ欣フ被害地住民ハ永ク此災禍ヲ追想シ宜シク之カ警戒ト豫防ニ努ムルノ要有ラン乎 斯ニ東京朝日新聞社募集ノ義捐金ヲ以テスル此記念碑建設ニ當リ青森縣知事多久安信標語ヲ記シ以テ深ク銘戎セシムト云爾 昭和八年十一月十一日八戸 高橋鋳工所作』

明神山の畜魂碑。

台座碑文(一部抜粋)…『この碑は、人類の発展に貢献した家畜の霊を慰めるため百石町並びに養豚等関係団体及び家畜飼養者のもとに建立する。昭和61年5月1日百石町畜産振興協議会(※協力者芳名省略)』

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