奥州市前沢古城五味田。
北上川右岸の沖積台地上に位置し、北を松ノ木沢川、明後沢川が流れます。地名の由来は往古城があったことに因み、当地の高台が一見古城の如き面影を残しているところから名付けられたと伝えています(胆沢郡誌)。地内字明後沢の古瓦出土地(県史跡)は発掘調査の結果、東西7間・南北4間の建物が発見されており、「続日本紀」に見える紀広純が築城を建議したという覚鱉城址に擬定されたこともあります。また、字明後沢には小山城とも呼ばれる九郎館跡、字姥沢には宗角館跡があります。
石灯籠一対。
七庚申(大正14年12月18日)
こちらは読み取れず。
庚申塔(明治14年8月)
子安観世音(文久2壬戌年8月15日or12日)
こちらも読み取れず。紀年銘は文政8年8月18日かな。
馬頭観世音。紀年銘は読み取れず。
社殿。
当神社の由緒等についてはわかりませんでした。総本社は宮城県仙台市宮城野区の青麻神社であり、主祭神は天之御中主神・天照大御神・月読神。仁寿2年(852)に社家の遠祖穂積保昌が山城国から当地に下向し、一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まりとし、穂積保昌が土地の人々に麻の栽培を教えたことにより青麻の地名及び社名になったといいます。
拝殿向拝下蟇股・木鼻。
神額(平成元年9月菅原悳雄)
本殿。
これは隣の家の石?境内の石?
っていうか…
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