三戸郡南部町相内下在所。

奥州南部糠部三十三観音霊場十七番札所。

達者村百景。

相内観音堂由来…『糠部三十三観音十七番札所、御詠歌「何事も今はあいない観世音二世安楽とたれも祈らん」。南部氏の家伝によると、初代光行公は一族家臣73人、6隻の舟に分乗し鎌倉由比ヶ浜より奥州糠部の新領地に向かい、建久2年(1191)12月28日八戸浦に到着した。馬渕川をさかのぼり、この地に来て夕暮れになったため、相内観音堂にて一夜を明かしたと伝えている。この観音堂は、むかし「正往山円通寺」と称し、永享9年(1437)に再興され、宝永4年(1707)に高五石を給された。光行公一行は観音堂が狭いので、近くの小高い丘にある助左衛門の家を仮の宿とした。この時、藩主の舘は堀がなければならないということで、村民総出で堀を掘った。故にこの舘を「一夜堀の舘」と呼び、また地名から「相内館」と称している。「花見舘」とも呼ぶが経緯はわかっていない。』※相内館はすぐ近くにあります。

御本尊聖観音。
元禄9年に聖徳太子御作と伝える聖観音像が奉安されたそですが行方不明となったようです。


手水石。

向拝。
堂内。
十和田山(村中)。天保6年3月清明かな…読み取りにくいです。

湯殿山。こちらも読み取りにくいです。明治26年9月かな…自信ないです。

十一面観音。

古峰神(明治31年4月15日)






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