1
岩手県奥州市衣川日向。
2
ふるさと水と土保全基金推進事業衣川地区。水辺に親しむゾーン、水と花に親しむゾーン、魚とホタルに親しむゾーンがありました。
3
3.5
かけはし。
4
4.5
北大堰。
5
北大堰の由来…『北大堰は衣川村の北股川桑畑から瀬原まで流れる村一番の用水路です。寛文6年(1666年)山田治左門によってかいさくされ周辺の水田を潤すとともに住民の生活用水でもある、また古戦場と言われた場所は現在美しい水田地帯となっております。水沢地方振興局アテルイの里』
6
六地蔵及びその他石碑等。
7
茅ぶき屋根、郷土料理のお店「んめえがすと」(村の迎賓館)。
8
閉業している感じ…
9
9.5
奥州衣川歴史ふれあい館。
10
こちらは営業されているっぽい。
11
鉄砲場跡。
12
国民宿舎サンホテル衣川荘。ものすごく立派な建物ですが…
13
やはり閉業していました。しかし!!
14
岩手日報より(2022.6.23)…『2020年9月末から休業している奥州市の旧国民宿舎サンホテル衣川荘は22日、再開への道が開けた。施設を市から民間へ譲り渡す議案が同日の市議会で可決された。譲渡交渉は曲折を経て「三度目の正直」で決着。改修工事のため再開は来年度の見通しだが、地元は愛着ある施設の存続を喜ぶ。本館・新館(7階建て、延べ床面積約6700平方メートル)、城を模した懐徳館(4階建て、同約330平方メートル)、土地約2ヘクタールなどを永森商事(富山市、永森豊隆代表取締役)に無償で譲る。同社の計画によると、改修後の客室は44室で、地域住民が使える集会スペースも整備。露天風呂や、豪華版キャンプ「グランピング」の施設も設ける。奥州市は修繕などの費用約7500万円を負担。同社による改修に5千万円、開業から5年は経営安定のため年500万円を補助する。』
15
岩手放送より(2022.7.1)…『岩手県奥州市にある「旧国民宿舎サンホテル衣川荘」が市から民間企業へ無償で譲渡されることになり、1日、引き渡し式が行われました。引き渡し式には奥州市の倉成淳市長や譲渡先で富山市に本社を置く永森商事の関係者などが出席し、署名が交わされました。衣川荘は旧衣川村が1971年に開設し、合併後は奥州市が運営してきましたが、赤字経営や老朽化などを理由におととし9月末に営業を終え、休業していました。民間への譲渡を巡ってはおととし以降、選定に難航していました。(永森商事 永森豊隆代表)「グランピング施設やドッグランとかも考えたりしてるんですけども、いろんな新しい仕掛けをしつつ、地域の皆様の交流の場としての役割は残していきたいと思っております」衣川荘は改修工事を経て来年7月の再オープンをめざします。』
16
よかったです。こんな立派な建物だしもったいない。
17
衣川村民憲章(昭和60年9月29日衣川ライオンズクラブ、南奎雲書)
18
「野火消えて月をあげたる衣川」野火男(菅原野火男)
19
衣の滝の碑(昭和62年6月)
20
20.5
陣場…『延暦八年(789)紀古佐美(きのこさみ)の征夷にあたり衣川に三ヶ所の営(たむろ)が設けられたがその内の東端の営跡と伝えられる。ここを基地として北上川を越えて北上した征夷軍は惨敗したと続日本紀に記されている。また前九年の役における衣川での戦いは天喜五年(1057)と康平五年(1062)の二回行なわれたが、そのうち天喜五年の戦いでは源氏軍の主力は北上川東岸から川を越えて攻めて来た。その攻撃をここに布陣した安倍軍が迎え撃ち、大きな痛手を与えたと伝えられる。更に伊達氏支配の時代には明暦二年(1656)に組織された下衣川村足軽組の砲術練習場となり鉄砲場と称された。』
21
そして旧国民宿舎サンホテル衣川荘の目の前にある立派な観光用模擬天守が衣川懐徳館。
22
こちらもどことなく廃墟感があると思ったら…
23
やっぱり見事に閉鎖していました。付近には鉄砲場跡、陣場山跡、奥州衣川歴史ふれあい館などがあり、歴史のある土地だとは思いますが…夏草や兵どもが夢の跡。
24
とりあえずテンションを上げるために記念撮影。
25
25.5
門。もちろん説明等はありません。
26
26.5
見えてきました。
27
懐徳館!!
28
衣川収蔵庫懐徳館…『この懐徳館は昭和四十五年の岩手国体を記念して建てられたものです。一階から三階までは衣川村に伝わる遺品遺物等の貴重な資料を一堂に集め展示しており四階は展望台でその展望台からの眺めはまた格別です。』
29
もちろん入ることはできません。
30
石垣。
31
31.5
浅学非才ゆえ、たまたま地図で見つけ、普通に歴史ある城だと思ってやってきた私…。せめて展望台には行きたかったな。
32
32.5
「とりわきて心も凍みて冴えぞわたる衣河見に来たる今日しも」西行法師
33
裏面碑文…『久安三年十月十二日、平泉にまかり着きたりけるに、雪降り嵐はげしく、ことのほかに荒れたりけり、いつしか衣河見まほしくて、まかり向かひて見けり、河の岸に着きて、衣河の城しまはしたることがら、やう変わりて、物を見る心地しけり、汀凍りて、とりわき冴えければ。』執筆者佐々木秀康
34
「ころも川みぎはによりてたつ波はきしの松がねあらふなりけり」西行法師
35
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ