秋田県仙北市田沢湖生保内中生保内。「姫塚」から南に約1.4kmの場所に鎮座。平将門の三女である夜叉姫が持参したといわれる延命地蔵尊を御本尊として、父平将門と母辰子を祀るために堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。

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また、社伝によりますと、御神体は瀧夜叉姫の守護神として懐中していたという延命地蔵像であり、姫の長子田口九郎右衛門が氏神として祀ったと伝えます。元々田口家の屋敷内(字堂ノ前)にありましたが、東側の地蔵長根というところに移したところ、通行人が度々落馬したため元の社地に戻したと伝えます。明治になり火産巣毘神を御祭神とした愛宕神社に改称し、明治44年に山神社(大山祇神社)と合祀。昭和3年に現在名である中生保内神社に改称。
御祭神は大山祇神、火産巣毘神、高御産巣毘神、天御中主神、神御産巣毘神、受母智神。例祭日は旧暦6月24日。

秋田県神社庁によりますと『当社は大山祇神社と愛宕神社の合併した神社である。大山祇神社は、往古より山神として、神徳特に篤く、霊験また顕著である。その一例を挙げると、ある時古老が、神徳があるならば、東南の小高い所に柴を生じ給えと、杉の枝を挿したところ、その杉の木が大木となり十数里遠くからも見えたと言う。そういうことで、その付近の字を「十里木」と称している。又愛宕神社は、昔延命地蔵尊と申し、村祖瀧夜叉姫(第50代桓武天皇5代の孫平将門の娘)が、父将門の東国に於て平貞盛下野押領使藤原秀郷に滅ぼされた時、難を逃れて奥羽に来、この地に居住することになる。その時所持していた守本尊を祀ったもので、神徳誠に篤いものがある。(現在姫塚がある)その一例を挙げると、昔神社の前は深い水田で、毎年若者等は、仕事をするのに難儀をしていたが、ある時一人の童子がやって来て農耕の手伝いを始めた。それは大人も及ばないほど上手であった。昼となり田圃から上って来たところ、童子に多数の蛭が吸付き血を吸っている。悪い虫どもよ、口を焼いてやると言ったところ蛭は皆離れてしまったという。童子は泥足のまま社殿に入って行ったので見てみると、ご神体に一面泥がついている。この神、この里を万世まで守り賜うご神徳であると伏し拝んだのである。現在この地区の蛭は人に吸付かないと言う。明治44年秋田県知事の許可を受け、山神社、愛宕神社を合併、昭和3年呼称を中生保内神社と改め今日に至る。』とあります。

拝殿向拝蟇股・木鼻。
向拝下。

幣殿・本殿覆屋。

石灯籠・石祠。


狛犬一対。
個性的でございます。
紀年銘は大正5年6月24日。

献主田口茂市郎。

馬頭観世音・山神。

御大典奉祝記念碑。

頌徳碑…『松田永三郎氏ハ田口茂三郎ニ男吉之助養嗣子嘉永六年七月三日出生昭和四年六月廿二日病没性温厚當事細心甞テ生保大外ニ村戸長勤務町村制實施ノ際村長ニ擧ケラル辞職爾来長ク村會議員區會議員衛生組長等奉仕ス我組合ノ今日在ルハ全ク氏ノ賜也感徳追慕茲ニ建立 昭和庚午初夏 中生保内中川原立野組合』

故田口市松翁表彰碑(大正4年11月11日中生保内青年會建立)…『翁ハ安政六年十二月三十日ヲ以テ生レ大正九年十二月十九日逝ク性温厚篤實ニシテ郷閭ニ信望在リ夙ニ敬神ノ熱誠ヲ懐キ神社併合ノ令出ツルヤ率先中生保内神社ノ獨立維持ニ努力シ私財ヲ捧ゲ土地ヲ寄附シテ其ノ基礎ヲ確立カラズシテ社運ノ隆盛ヲ見ルニ至レリ其ノ功洵ニ偉ナリトス茲ニ翁ノ徳澤ヲ追慕シ碑ヲ建テ永ク其ノ功績ヲ表彰ス 中生保内神社信徒一同』











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