秋田県秋田市牛島西3丁目(旧牛島竹原道下)。三皇熊野神社本宮です。
社号標「三皇熊野神社」。

社号標「竹原三皇熊野神社」(大正9年9月11日・牛若講中奉納)。

三皇大神宮の碑(元冶元年甲子6月11日)。
狛犬一対(嘉永7年寅6月11日)。
参道石灯籠一対(大正10年7月11日・船木久治)。
八日講中鳥居建設紀念碑(昭和6年建立・石工堀金吉刻)。

境内社の三皇稲荷神社。
狐一対(昭和59年9月15日、秋田市旧十軒町、猪田ナミ献納)。


社殿。

拝殿内。

隣に保食大神の碑(明治5年壬申9月18日)。


小祠。稲荷社。

霊水の大木。
保存樹…『この樹木は、公園都市秋田市をつくる条例により指定された保存樹です。貴重な財産を市民みんなで大切に守っていきましょう。◆樹木名…霊水の大木(ぶな)樹齢(推定)150年。◆由緒…神社の当初創立は不証である。桓武天皇の延暦年間、坂上田村麻呂が髙清水丘に本陣をはって夷賊を討ち、大勝したが、その報恩のため社を再建したという。境内に一大異木があり、其名を知らず、将軍の杖より成木した云々の伝説がある。本樹の二又より清水が湧き霊水の木とも称したが、昭和12年頃二又の一本枯死し、霊水もとまったと伝えられる。◆指定番号第21号◆昭和49年10月11日秋田市』※その他公式HPでは槐(エンジュ)や狐の剃刀(キツネノカミソリ)も紹介されています。

根元の小祠。水波能売命が祀られていました。

弦かけの松・霊水の大木(三熊講中、大正14年7月10日)…『◆弦かけの松…桓武天皇の延暦年間将軍坂上田村磨大宿禰東夷征伐の際陣地を卜定せんが為め竹原三皇大神に祈誓して北方に向って矢を放つ其矢齶田(今の寺内)乃髙清水の岡に止る(途中失走の名あり今乃八橋にして矢の根は古四王神社にあり)こ乃松は其時将軍の弓弦をかけられたるものなりと言ふ。◆霊水の大木…此の樹は田村将軍所用の杖を此地に刺したるに枝葉を吹出し成木したるものにして樹名詳ならず或は曰ふ■(木+無)の一種なりと周り大は胸髙二尺五寸小は一尺四寸髙さ大は六間小は四間なり二本に分れたる枝幹より曽て清水湧き出てたることあり時の人呼んで靈水の大木と稱せり 根田金太郎鐫』

龍神社。御祭神水波能売大神。
手水舎。

本宮境内整備事業大口寄進者御芳名碑。

敷石三拾七間寄附人名碑(明治33年6月11日)。

竹原井戸講中(明治41年旧11月11日)。

社殿(29.18坪)、本殿(5.34坪)、幣殿・拝殿・向拝(23.84坪)、客殿(22.53坪)、玄関・回廊(13.25坪)、合計(64.96坪)。社殿は向拝・拝殿・幣殿と本殿が繋がった権現造り。本殿は、神明造り、千木内削、鰹木六本、屋根銅版葺き、軒付けは、ネズコ材を積板した木羽板葺き風仕上げになっています。幣殿・拝殿は入母屋形式、向拝は唐破風軒。後面は切妻形で本殿に繋がっています。屋根銅版葺き、軒付け五段仕上げ。客殿は切妻造り妻入り、回廊・玄関は切妻造り平入り、屋根は共に銅版葺き。
天神社(学業成就・合格祈願)。

神社庁より…『創立年月日不詳なれど再建は桓武天皇の延暦年間征夷大将軍坂上田村麻呂が竹原三皇の神に祈誓して高清水丘に向って矢を放ったと言われており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。境内には田村将軍の杖に根がついたという大木があり、戦前まで、地上8尺位の所から、こんこんと水が流れ、霊水の大木と言われた。明治7年村社に、明治4年1月10日神饌幣帛料供進神社に指定され、明治33年に本殿と拝殿が改築された。明治43年5月20日大野中道上段無格社八幡神社、明治44年7月5日、字古川端無格社神明社、同年村社熊野神社を合祀し、三皇熊野神社と名称が変り、その後幣殿は昭和48年増改築した。現在の社殿は平成16年に客殿と共に全面改築したものである。尚、境内には、ぶな、けやき、いちょう等の大樹に、元治元年の三皇大神の碑をはじめ、保食神、安藤和風の句碑などあり、遠近の人々から三皇さん、竹原さんのもりとして親しまれている。』
御祭神は天照皇大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、須佐之男大神、八幡大神。例祭日7月11日。
公式HP参照…『創立年月日不詳なれども、再建は桓武天皇の延暦年間(延暦23年・804年頃)征夷大将軍坂上田村麻呂が竹原三光の神に祈誓して高清水の丘に向って矢を放ったといわれており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。境内には田村麻呂将軍の杖に根がついたというブナの大木があり、戦前まで地上八尺位の所から、こんこんと水が流れ、「霊水の大木」といわれ、霊水は眼病に効くと言われていた。また、現在は枯れてしまったが、田村麻呂将軍の弓の弦を掛けたという松が、「弦かけの松」といわれ、参道中央にあったことが知られている。慶長5年(1600)に本宮の御分霊を受け、熊野神社(現在の里宮)が遷座される。江戸時代以前より三光大神として「日・月・星」をお祀りする神社といわれており、「六郷郡邑記」享保15年(1730)には、当社は「三光宮」との記述があり、また菅江真澄の「遊覧記」文化12年(1815)にも、「竹原三光宮トテ日月星ヲ斎クニヤ云々」と記述されいる。ちょうど当社は、秋田藩主、佐竹氏の久保田城より南西の裏鬼門の方角にあたり、また牛島は参勤交代で江戸に向かうための交通の要でもあり、秋田藩主、佐竹氏の五本骨月扇紋が付された文久年間に制作された獅子頭(猿田彦大神として奉齋)が伝わっている。他にも江戸時代後期に奉納された狛犬(嘉永7年)、御神鏡(安政2年)、手水鉢(文久2年)、三皇大神宮の碑(元冶元年)がある。安政2年の御神鏡には、「竹原三皇宮」と初めて三皇という名称が記されており、この当時に三光から三皇という社名に推移したものと伺われる。明治7年村社に、明治33年に本殿と拝殿が再建された。明治41年、日神饌幣帛料供進神社に指定される。明治44年、大野中道上段無格社八幡神社を合祀。明治44年、古川端無格社神明社、同年村社熊野神社(現在の里宮)を合祀し、三皇熊野神社と名称が変わる。昭和48年に幣殿を増改築。平成5年に本宮社務所を新築。現在の社殿は平成16年に本宮御鎮座1200年、里宮御鎮座400年を記念し御社殿を全面改築、客殿を新築したものである。境内社として三皇稲荷神社をお祀りしている。尚、境内には、ぶな、けやき、えんじゅ、いちょう等の大樹に、元治元年(1864)の三皇大神の碑をはじめ、保食神、安藤和風の句碑などあり、遠近の人々から三皇さん、竹原さんのもりとして親しまれている。』
公式HP『三皇熊野神社』
里宮の記事:『三皇熊野神社里宮(秋田市)』

拝殿内。

絵馬(明治35年旧6月11日)。
絵馬(昭和10年晩秋・源一成、昭和11年1月奉納)。
本殿覆屋。

三皇通町内会館。

境内のその他の石碑を紹介します。
牛島町農友會創立二十週年記念碑(昭和9年5月謙堂)…『本會ハ大正四年本町農事ノ改良發達及ヒ相互親睦ノ目的ヲ以テ創立ス當時會員僅カニ二十有餘名サレト協同一致能ク其目的ニ邁進シ町有原野ヲ拓開シテ良圃トナセリ偶〃本町秋田市ニ併合ノ事アルヤ酬イラレテ三百圓ノ基金ヲ得タリ爾来會運漸次發展シ今ヤ本町農家ニシテ會員タラサル者ナキニ至ル今茲創立二十週年ヲ迎フルニ際シ相謀リテ記念碑ヲ建立シ協力同心一層本會所期ノ目的ヲ貫徹セムニト誓フ』

「秋田富士見えぬ日もなし稲の花」
安藤和風句碑です。紀年銘等は達筆にて微妙に読み取れず。

平和の碑(御大典記念)…『この碑は、戦争の悲惨さを身を以って体験した者として、後世に之を伝え、恒久永遠の世界平和を願望するため、私たち最後の傷痍の者とその妻たちが、茲に祈念し、この碑を建立す。皇紀2650年、平成2年11月12日財団法人秋田県傷痍軍人会・同妻の会』

太平山、出羽三山(明治2年11月21日)。

赤神山(安政4年・郷中安全)。

保呂羽山・三嶽山・髙岳山(慶應3丁卯2月吉日)。

秋田市牛島町合併記念碑(大正13年3月31日、旭洲小國祐五郎謹書、倉田鹿峰鐫)。

『河邉郡牛嶋町村社三皇神社舊社狹少老朽矣氏人泉彌太郎吉川久之介鈴木市藏等設七賢會収毎會飲食費以充改築之資累年而殆蓄積千金且得同志者浄財新造神殿實本年六月也荘厳陪舊其功偉矣 明治三十三年庚子十二月吉日車掌金子俊蔵誌』

日清戰役紀念碑。

耕地整理紀念碑(明治41年11月起工、大正3年5月竣工・建立)。

宮野堤築造紀念碑(明治32年9月)。

隣接している熊野神社街区公園。






















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