青森県下北郡東通村尻労。尻労は古くは志利労とも書かれ、「しかり」「しっかり」とも言うそうです。地名の由来はアイヌ語系でシッツ・カリからくると考えられ、断崖の手前を意味します。地内から洪積世のナウマン象の歯や牙が発見されており、縄文後期の土器も出土する尻労遺跡があります。

熊野神社(尻労熊野堂・尻労熊野宮)は尻労八幡宮本殿裏手付近に鎮座。尻労八幡宮裏手に末社の小祠が並んでいますが、そのすぐ裏です。

隣の建物はわからず。拝殿内には「熊野山」の額が見えます。こちらは恐らく目名不動院熊野堂もしくはそれに関連する熊野堂です。江戸時代以前より目名には不動院という修験者(山伏)がいました。尻労の熊野宮の棟札として、寛文8年、正徳元年、元文5年、宝暦9年、文化元年、文政6年、文政11年、弘化4年のものなどが残されています。目名不動院(目名三光院)に関連する当社の棟札(寛文8年から昭和4年までの10枚所蔵)の詳細については省略しますが、興味のある方は東通村史(歴史編Ⅰ・P245)を参照下さい。詳しく掲載されています。ちなみに寛文8年の棟札には「奉造栄熊野三所大権現之社宮・祝言主不動院」とあります。


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