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弘前市富栄笹崎。富栄は岩木山麓の東に位置。地名由来は明治9年、鶴田・三ツ森・四戸野沢・小島の4ヶ村が合併して成立したため、新村が将来富み栄えることを願い付けられました。集落の北を血洗川が流れています。縄文時代遺跡として、三ツ森Ⅰ・Ⅱ遺跡があり、中世の城館として志(四)戸野沢館跡があります。地内志戸野沢は天文年間の津軽郡中名字(津軽一統志)に見え、「斯土沢(シトノサワ)」に比定。字平岡に香取神社、字笹崎に神明宮、字浅井名には三森神社があります。
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社号標「神明宮」(昭和11年旧8月19日前田兼吉)
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百万遍(昭和27年旧8月6日久保田タマ、有志一同建之)
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一之鳥居(大正9年旧8月16日鶴田村中建之)
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二之鳥居。
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鬼コがいます。
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お尻が背中まで割れています。いや、割れているところまでがお尻なのかも知れません。
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なお、鬼コや当神社の由緒等については過去の記事も参照ください。
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三之鳥居。
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うん?何か動いている!?
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キジカップルでした。
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12.4
12.8
二十三夜塚(昭和17年旧8月16日、前田兼吉建之)
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大日宮。碑文…『當社小田桐善右衛門(善左衛門かも)建立當邑氏子中建之安永五丙申秊四月八日 施主四戸野沢村 前田三右衛門』※自信なし
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庚申塔(昭和8年旧8月15日前田直吉建立)
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合併前の鶴田村です。江戸期の鶴田村は津軽郡鼻和庄のうち、岩木山麓の東部、岩木川左岸に位置。弘前藩領村高は「正保高帳」132石余、「寛文高辻帳」163石余、「貞享4年検地水帳」147石余(田125石余・畑屋敷22石余)、「寛保高辻帳」163石余、「天保郷帳」143石余、「旧高旧領」187石余。万治2年長利甚左衛門は当村及び三ツ森村・独孤村において多数の墾田を開発した功績により弘前藩に召し抱えられており、その当時から開発が進んでいたものと思われます。貞享4年検地水帳によりますと、小字に鳥羽・笹崎があり、反別は田18町4反余・畑屋敷9町3反余(うち屋敷2反余)。このうち田は上田から下々田まで、畑は中畑から下々畑まで設定されていた他に、開発場として田畑地5町9反余、永荒田畑5町9反余、芝野が13ヶ所で21町8反余あり、漆木は12本。元禄3年には高杉組に属しており村位は下でしたが、享保12年には中に上がっています。村内の寺社として貞享4年検地水帳に村中抱えの大日堂が見えます。明治4年弘前県を経て青森県に所属。明治初年の戸数21、同9年富栄村の一部となっています。
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石灯籠一対(安政7庚申年8月8日)
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17.5
手水石。
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石灯籠一対。紀年銘等は読み取れず。
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19.5
狛犬一対
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20.5
他の方の情報によりますと昭和36年9月16日建立らしいのですが私には読み取れず。「昭和」ははっきりとわかります。
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末社。
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柱に「明治十八酉年旧九月朔日」「富榮村久保田勇太郎」などの文字が見えましたが御幌で何神社かはわからず。
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社殿。
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ブラジリアン柔術の祖、前田光世(コンデ・コマ)の縁の神社として知られています。
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拝殿内。
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神額(大正7年舊12月1日、心願成就、願主久保田吉郎敬白)
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大正12年の鶴田青年團の写真。
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鶴田神明宮由緒…『當社は天照皇大神を奉齋し、創立年月日不詳なるも長禄三己卯年四月、鶴田四戸沢の産土神として再建。明治八年村社に列せられ、昭和二十三年神社法改正により宗教法人として発足、今日に至る【境内地】三百五十六坪、昭和二十四年八月三十一日付を以て國より譲與許可せらる【境内地】長十五間巾七尺。明治三十二年五月十二日前田兼吉奉納【本殿】(七合)明治三十九年九月二十八日新築【拝殿】旧拝殿(入母屋造三坪五合)狭溢の為祭事の齋行上不便により之れが新改築は氏子民一同の冀ふところ依りてその一助にもと爾来有志の人々左記金額奉納又境内立木を伐採してその資に充て昭和三十四年七月着工同年九月現拝殿(六坪神明造)新築落成せり。【記】一、金壹千八百二十九円也 大正十二年現在高 神社基本金 一、金五拾円也 昭和十六年三月十九日 久保田勇太郎氏奉納 一、金参拾円也 同十七年三月一日 太田勇氏奉納 一、金拾五円也 同十八年八月十二日 前田繁雄氏奉納 一、金貮百円也 同十八年九月十八日 久保田勇造氏奉納 一、金参百拾参円也 同十八年十二月二十九日 境内立木供出代金 一、金弐百円也 同二十一年二月十六日 久保田節氏亡父追善奉納 一、金五百円也 同二十四年八月十六日 高屋國道氏奉納 一、金参拾円也 同二十四年旧八月十六日 久保田雪氏奉納 一、金拾貮万七千五百円也 同二十九年九月七日 境内立木賣却代金【瑞垣(八間)】氏子惣代前田萬三氏高屋正衛氏前田由太郎氏拝殿新築記念として奉納【神饌田】四戸沢前田氏より神社維持費を得んが爲壹反弐畝 昭和二十二年四月前田萬三氏より参畝拾弐歩奉納。 右略記して掲額となす。昭和三十五年九月十六日。鶴田神明宮代表役員社司清野貞良、責任役員久保田節、前田萬三、高屋正衛、前田由太郎、氏子惣代小館忠度、高谷金助、久保田浅吉、前田清治、太田勇、久保田誠一、前田長助』
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その他絵馬等。
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30.2
30.4
30.5
30.6
30.8
本殿。
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鎮守の杜と背後に聳える岩木山。
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