1
山形県飽海郡遊佐町直世荒川。小山崎遺跡の近く。ちょっとわかりにくい場所ですが、道中案内板もありますし、箕輪鮭孵化場に向えば必然的に丸池様に着きます。
2
案内板「丸池様・牛渡川」より一部抜粋…『丸池様は池の底から湧き出している湧水で満たされた池です。水の透明度が高くエメラルドグリーンに輝き、辺りは神秘的な雰囲気につつまれています。ほとりにはこの池を御神体とする丸池神社が祀られ、人々は親しみと畏敬の念を込めて「丸池様」と呼んでいます。鳥海山から流れ出た溶岩がつくった周辺の低い台地には、大規模な縄文時代の遺跡(小山崎遺跡/縄文中期)も見つかっています。山があり海があり、そして豊かな水がある。ここが自然に恵まれた暮らしやすい場所だったことがわかります。牛渡川は鳥海山から流れ出た溶岩の側面に沿って流れる、全長約4キロの清流です。牛渡川を流れる水のほぼすべてが湧き水で、その量は毎分24トン(1日約3万トン!)ともいわれています。牛渡川では、湧き水を利用した鮭の孵化事業が行われています。牛渡川で誕生した鮭は海で4年間成長したのち、ふたたびこの川に戻ってきます。毎年秋から冬にかけて大量の鮭が遡上する姿をみることができます。バイカモ(梅花藻)やカジカ類をはじめ特徴的な動植物が生息し、湧き水がつくりだした水環境のもと、多様な生態系が広がっています。』
3
牛渡川は「鳥海山」と「庄内平野」との境界。
4
箕輪鮭漁業生産組合。昭和26年(1951)に人工孵化場が建設され、鮭の孵化事業が開始されました。
5
遊佐町の鮭人工孵化場では毎年、鮭の遡上が一段落ついた1月から2月頃に鮭供養を行い、永泉寺の僧侶にお願いしているそうです。
6
牛渡川(里の名水・やまがた百選)。
7
鳥海山の湧水が牛渡川に流れています。鳥海山と庄内平野のちょうど境目にあり、ほとんどが湧水の穏やかな清流。
8
丸池様に行くにはこの石橋を渡ります。
9
9.5
石橋を渡らずに進めば湧水の樹蔭路。
10
上手く撮れませんでしたが鮭がたくさん暴れていました。9月下旬から1月上旬にかけて、たくさんの鮭が遡上します。4年の歳月をかけて産まれた地に戻ってきます。
11
絶滅危惧種イバラトミヨなどの魚やオシドリなども目撃されています。
12
深緑の梅花藻(バイカモ)。清流にしか繁茂しません。6月半ば頃(初夏)には梅の花に似た可憐で小さな白い花をつけ、藻と一緒に水面に浮き上がってきます。ちなみに私が訪れたのは10月です。
13
それにしても水があまりに透明過ぎて逆にうまく撮れない。
14
水面下にある水草が水面上にまで生えているように写ります。
15
丸池様へ。
16
鳥海山大物忌神社境内地にある神秘的な池。直径約20m、水深約4~5mで、湧き水のみで満たされた池です。透明な池を見ていると、底の方からボコボコと水が湧いている様子が伺えます。
17
17.5
箕輪の鎮守の丸池様。丸池は池そのものが御神体です。昔は鮭の遡上が始まる前に参拝して大漁祈願をしたといいます。
18
18.4
18.8
後三年の役で、鎌倉権五郎景正が敵に目を射抜かれ、三日三晩その敵を探し求め見事に討ち取った後、この池で目を洗ったため、この池に住む魚は鎌倉景正に敬意を表してすべて片目であるという伝説を残します。神の使いである片目の魚がいるという伝説の他、池の水で目を洗うと眼病が治るという霊験も語られています。また、稲倉嶽の御尊の御手洗とする伝承があります。
19
19.5
鳥海山大物忌神社の境内地であるため、周囲には手つかずの社叢が残されています。
20
20.4
20.8
水の色は幻想的なエメラルドグリーンで、光の加減によって微妙に色を変えていきます。
21
21.4
21.8
私をそこに連れてって~やまがた景観物語おすすめビューポイント№53…湧水の芸術、幻想的な水辺の空間「丸池様」
22
丸池…『この池は、県内唯一といわれる湧水のみを、水源としています。直径約20m、水深3m50cm。水はあくまで冷たく澄んでおり、水中の倒木さえもなかなか朽ちはてず、まるで龍のごとく池底にひそんでいます。「丸池様」なる信仰の対象となっており、けっして魚など捕ってはなりません。この「丸池様」の社叢は全くの原始林なので町の天然記念物にも指定され、保護につとめております。1996年9月環境百年委員会』
23
23.5
丸池神社へ。
24
24.4
24.8
丸池の畔に鎮座。
25
拝殿。
26
拝殿向拝。
27
石灯籠(文久2年7月)。
28
石灯籠(慶應2年9月)。
29
社殿の向かい。
30
丸池を背に小祠があります。
31
こちらが本殿になります。
32
鳥海山大物忌神社境外末社丸池神社境内(平成20年3月28日指定)…『丸池神社は、一般には丸池様と称され、瑠璃色の池そのものが御神体として崇敬されてきた。現在の祭神は、田心姫命、市杵島姫命、多岐津姫命の宗像三女神である。丸池神社の本殿は、神池を拝むような形で配置されており、一間社流造の小社であるが、向拝に木階を設けない、見世棚造風のやや変則的な造りの社殿である。8月7日の例祭では、本殿の向かい側の拝殿で、御頭舞(獅子舞)、巫女舞が奉納されている。江戸時代後期、天保の頃、遊佐町下長橋に住む風流人たちが遊佐郷の景勝地を巡った記録である「遊佐細見往来」という書き物に、以下のような記述がある。「丸池大明神を参詣いたしける。此池は稲倉嶽の御尊の御手洗にして、此所に瑠璃の御玉と云ふ宝物あり。御機嫌の節は彼の御玉、水の上に浮むと云伝ふ。若し此池に塵塊抔を投入不浄いたし候ば、俄に東風吹出し、田畑をそこなふ事眼前なりと。此池の名、俗説もり池と云ふ。今にも森池東風とて吹くことあり。慎むべし。昔より此の池に住みし魚皆片目なりと承る。」稲倉岳の神の御手洗との謂れは、水分の山でもある鳥海の神と本池の深い繋がりをうかがわせる。稲倉岳は、大物忌神の正体ともされる倉稲魂神を祀り、「乾に稲村ヶ嶽在。実は稲倉と云。爰ハ権現本居の所なれば、参詣することを禁ず。」(「出羽國一宮鳥海山略縁起」)と記される鳥海山の奥の院とも言われる聖地である。また、山上の湖水・鳥海湖と麓の丸池の水脈は地中深く通じているという言い伝えもある。この池に棲む魚が片目だというのは、前九年の役で、安倍宗任(鳥海弥三郎)と戦った源氏の鎌倉権五郎景政が、宗任に左の眼を弓で射られ、同輩に矢を抜いてもらい、この池で眼を洗ったところ、池が真っ赤に染まり、それ以来この池に棲む魚はみな片目になったという伝説に基づいたものである。鳥海山からの伏流水を水源とする丸池周辺には小山崎遺跡、柴燈林遺跡など縄文の遺跡群が存在し、池の側を清流牛渡川が流れ、秋には多くの鮭が遡上する光景が見られる。このように、本境内は、縄文時代から現代に至るまでの水にまつわる信仰文化が残る貴重な史跡となっている。遊佐町教育委員会』
33
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ