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秋田県大館市雪沢水沢。写真のように山道を登って行きます。
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途中に左手に参道石段があるのですが、これがかなり急な石段でちょっと危険です。無理してこの正面石段を上らなくても、そのまま直進すれば境内に行くことができます。
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冒険家の私もここは回避しました。
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水が流れている石。
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正面参道となる石段を上らずに来たら現れた建物。逆に正面参道から来たら気付いていなかったと思います。
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行ってみます。
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建物は結構傷んでいますが社のようです。読み取れる範囲ではありますが、棟札には「奉建立稲荷大明神・弘化四年」「奉再建稲荷大明神・嘉永二年」「内外」「大工政吉」他願主名などの文字が見えました。稲荷大明神であり、建立年・再建年がわかります。
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その横の建物。
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何かは不明ですが、陶製の白狐がありました。こちらも稲荷神社かも知れません。
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ちなみに道は更に上へと続いていますが、きっとこの山の頂まで続いているんでしょうね。山頂はすぐそこに感じましたが未確認です。
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稲荷大明神の祠がある場所から雪沢神社境内に行けます。
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雪沢村は、天和3年に雪沢新田村として黒印村となり、茂内村の枝郷から独立した村です。長木川八百八沢と称された豊富な山林地帯は、雪沢・大新沢・大滝沢・独沢など次々に元和年間頃から藩の御留山に指定。その管理開発の必要上から藩政初期から東接の南部藩との藩境紛争が続き、独立して黒印村となりました。延宝5年に藩境が一応落着した段階で当村は御境目郷に指定。御境目郷加村に指定された大茂内村・芦田子村とともに藩境の定期巡回の負担を担います。南部浪人安部権之助(左兵衛)が山守に抜擢されて雪沢に住み、5人扶持の待遇を受け、同じく南部浪人川田小左衛門も雪沢村肝煎として山拠人を兼帯。庄兵衛の子重右衛門は小左衛門のあとも受けて任務を兼帯し、2人扶持となります。この頃に続々と枝村を開発。元禄7郡絵図では雪沢新田村94石余のうちに、新沢村・籠谷村を枝郷として郷形を図示、延宝6年に水沢・石淵・黒沢・赤沢、延宝7年に二ツ屋村がそれぞれ枝郷として開村。貞享元年からは同じく新田村たる中羽立村に南部藩との往来を取り締まる関所・番所も設置されていました。新田村とはいっても水田開発より山村開発に重点を置く村であり、村民はアワ・ヒエを常食とし米飯は稀でした。洪水や飢饉に苦しみ、小雪沢付近の中羽立村は3人扶持1人・2人扶持2人の大館給人3人が常勤する関所・番所の設置された村にもかかわらず、天明4年廃村。享保郡邑記記載の当村枝郷は前記の村々に茂内屋敷村・大明神村を加えた10か村で、家数114軒(うち枝郷分108)とあります。赤沢・水沢・籠谷3か村には地主(仮肝煎)1人ずつを置き、1人扶持待遇で山林管轄に従事。この頃は新田の字をとり雪沢村となります。享保黒印高帳では、村高391石余・当高104石余(うち本田並36・新田68)、寛政村附帳は当高108石余(すべて蔵分)と認定。親郷大館町の寄郷。長木沢の山林に関しては、能代木山方覚などに詳細が記載されています。材木伐出しにかかわる村民の動向なども知ることができます。藩政初期から赤沢鉱山などの開発も試みられました。秋田風土記は106軒、天保郷帳は104石余。安政年間には94石余、112軒・414人・馬159頭。村鎮守神明社(後の雪沢神社・例祭日9月11日)は、大館城代が森林安護神として水沢村の山神社を移建したもので、明治以後、各枝郷にまつる山神社・水神社なども合祀しました。新沢村では賽神信仰・鹿島信仰も盛んでした。明治22年北秋田郡長木村の大字となります。
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秋田県神社庁によりますと、御祭神は大山祇命、月読命、天照大神、豊受姫命、誉田別命、天御中主神、家都御子神、豊磐間戸神、千手観音。例祭日5月12日。境内社は金毘羅神社、古四王神社、唐松神社、稲荷神社。
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秋田藩主佐竹義宣が慶長7年秋田へ遷封以来、長木沢の森林守護神として旧長木村雪沢字黒森に山神社を建立。寛文年中、雪沢字新沢に移し、享和2年根岸正親秀生、岡甚之助忠笠、三輪円蔵、笠井重右衛門、吉田忠蔵、村井藤左衛門等新沢に出張して再建遷宮式を執行。藩主の建立であり、祭主であったので村民のみならず広く崇敬されました。
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明治43年雪沢10地区各神社の祭神を水沢神社に合併し、更に本神社も水沢神社に合祀し、明治45年雪沢神社と改称。現社殿は大正3年に建築されたものです。
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拝殿向拝蟇股。
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木鼻。
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18.5
海老虹梁・手鋏。
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19.5
上から見た正面参道石段。
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境内社。
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真っ暗です。由緒だけを頼りに消去法で推測するならば唐松神社かも知れません。
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石塔。
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1基は金毘羅大権現(安政6年)。
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もう1基は古四王大権現(安政6年7月吉日)。
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