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青森県八戸市鮫町二見町。人形沢バス停北側。二子石稲荷神社ですが、現在鎮座しているところの住所は二見町です。
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二子石は江戸期の浦名で三戸郡浜通村を形成していた10か所の浦の1つ。二子石村とも称しました。新井田川河口部の八戸港東方、太平洋を望む海岸部に位置。西は白銀、東は持越沢に接します。元和3年盛岡藩主南部利直により根城南部氏の給所が田名部から八戸へ移されますが、その時の書状に書き上げられた八戸の浜23か所のうちに「一ふたこし」と見え、早くより浜として成立していたことがわかります。なお、翌4年の利直から根城南部氏に宛てた知行宛行状には「拾八石二斗四升 二子石」と見えます。行政上の浜通村の中心は湊で、湊が10か所の浦を代表していました。慶安2年の雑書によりますと「白金浜内二越」とも見え、オットセイを捕獲した猟師に褒美として米一駄が与えられています。延享4年浦数覚では八戸廻22浦のうちに二子石が見えます。明治になってからは浜通村支村二子石村と見え、浜通村の一部として扱われましたが、明治初年の国誌では二子石村を一村と扱っており、家数17、村況は「海岸の平地に住し、漁蟄半に居る」とあります。
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その他資料より「二子石村」…『八戸湾の鮫浦の中ほどの「白銀崎」の東側にある。砂浜と、その後方に海岸段丘があり、なだらかに八戸台地に続いている。砂浜に二つに割れた岩があり、二子石村の名のもとになったという。大きな川はなく、段丘中ほどから流れてくる通称稲荷川またはヨシチ川は、白銀村砂森との境になっていた。稲荷川には「とめ」と木枠の水槽をつくり、「飲み水場」と「洗濯場」とに分かれていて、現在も利用されている。持越沢村との間には「天の川」がある。この二つの川の間に形成された集落が、村の始まりであろう。遺跡は、縄文時代中期の林通遺跡が発見されている。(中略)江戸時代の二子石村の有力者として、地頭屋(平岡家)が知られていて、二子石の稲荷神社にかかわっていた。(中略)寺社は、村の産土として二子石稲荷神社があり、金剛山光照寺がある。』
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境内の巨木(ケヤキ)が目立ちます。樹高約25m、幹周約561cmで、高さ約2mのところで二股に別れています。樹齢は推定120年。更に幹周512cmに達するケヤキもあり、こちらも樹高は25mを越えていますが、どちらも高い場所の枝が幾度も切り払われており、本来の高さは不明となっています。伝説となった樹齢千年の大杉は現存しませんが、その他のケヤキは社の補修用として植栽されたものと思われます。
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狐様。
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崩壊しております。
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7.5
鮫三社の一社として数えられる二子石稲荷神社。四間四方の切妻入りの社殿は拝殿20坪、本殿2坪。御祭神は宇迦之御魂神。例祭日は5月19日。社殿によりますと、元和年間に二子石村に住む二人の老女に御神託があり、それにしたがい竹笹を持って呪文を唱えながら、大杉のまわりを幾日も廻ったといいます。村人はその光景を不思議に思い、その大杉の根本を掘り起こしてみたところ、土中から御神鏡が現れました。村人たちはそこに小さな祠を建立し、これが後に二子石稲荷神社になったといいます。なお、伝説の大杉は既に現存しておらず、また、昭和の初めころまでは社殿の向きが現在と異なっていたと伝えますが定かではありません。境内の北側には稲荷川と呼ぶ湧き水があり、現在も地域住民が利用していますが、その昔は眼病の妙薬としてこの水で眼を洗っていたと伝えます。二子石稲荷神社の北方の三叉路にあり、確かに現在も生活用水として使用されているようでした(洗車禁止、ツバやタンを吐く事禁止、汚れ物を流す事禁止などの比較的ゆるい注意看板もありました)。
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鮫町の神楽のひとつ二子石神楽が伝わっています。昭和初期に二子石に居住していた岩手県軽米町生まれの西舘亥之助が、九戸村江刺家の神楽の太鼓・舞を住民有志に伝授したものです。そのため二子石神楽は江刺家手と呼ばれます。法霊社や小中野にも伝授されています。
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青森県神社庁より…『社伝によれば、元和年間(1615-24)に二子石村に住む二人の老女に御神託があり、老女は樹齢約一千年の大杉の大木の御祟を竹の葉を持ちながら、何事かと暗示しているように、何日もそこばかりグルグルと回っていた。村人は不思議に思い、そこを掘り起こしたところ果たして貴い御神鏡の出現を見るに及び、この靈地に一祠を建立(北の方位を向いていたとも)し、稲荷大神、即ち「宇迦之御魂神」を勧請したのが創祀である。神社は代々、当村の地頭職であった旧家、平岡金三郎氏が運営していたが、同氏没後、夫人の「フク」が中心となり管理・運営にあたり、村の氏神として祭祀を続け子孫に受け継がれて今日に至る。境内社二子石社』
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拝殿向拝神額(昭和18年8月吉祥)。
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拝殿内。
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社殿向かって右にあった末社。
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丸い石が二個祀られています。
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境内社の二子石社ですね。
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その後方に蛭子と彫られた石碑がありました。
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もう一基は暗くて読み取れませんでした。
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更に奥には奇岩とも呼べる石が複数奉納されています。
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