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秋田県北秋田郡上小阿仁村小沢田独活平
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七倉山に鎮座。七倉城(小沢田館)址。七倉神社が鎮座する場所が主郭跡。※頂上ではありません。
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途中の眺望。
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小沢田は米代川の支流小阿仁川の中流に位置。東流する小沢田川が小阿仁川に合流する地域で、東部の小阿仁川左岸低地は耕地、西部一帯は山林地帯。西方七倉山中腹にある七倉天満宮は応永2年頃の再興といい(七倉山泉涌寺縁起)、独活平(うどひら)は戦国期秋田氏の家臣嘉成三七の館跡と伝えられます。江戸期以降の小沢田村は出羽国秋田郡南比内小阿仁のうち。秋田藩領で能代奉行の管轄。検地帳などは現存しませんが慶長年間の成立と推定。沖田面村と共に上小阿仁地域の中心村で、親郷ではありませんが18世紀以降には隣接の寄郷福館・五反沢・仏社・堂川4か村を管轄。「正保国絵図」では小沢田新田村本田当高115石、「元禄7郡絵図」でも小沢田新田村159石余と図示。新田村として成立した村と判明。宝永~享保年間に新田の字をとり小沢田村となり、「享保黒印高帳」では村高170石余・当高152石余(うち本田121・本田並21・新田10)、「寛政村附帳」では当高186石余(すべて蔵分)、「天保郷帳」では152石余。水田耕作の他に豊富な山林資源にも恵まれており、貞享2年に付近一帯の山林が御札山の指定を受けます。享保年間から強化された杣出しの村ごと割当てに対して、寛延2年当村肝煎は沖田面村肝煎と共に小阿仁地方を代表して反対陳状の申状に署判。18世紀以降は藩当局の勧奨もあって漆木・養蚕取立ても行われ、文政10年田中藤左衛門の養蚕方御用掛就任、天保3年平右衛門の絹織座設立などがあり、毎月絹100反を上納。村鎮守は正保元年までは古四王神社、それ以後は七倉天満宮。修験源竜院・明王院ほか神明・山神の2社があります。庚申信仰も盛んで、北西部の村はずれに庚申塚が4基現存(うち2基は天明7年・文化8年建立)。戸数は「享保郡邑記」で40軒、安政年間で45軒・232人・馬50頭。当村の伊藤家は加成三七の子孫といいます。明治7年小沢田学校開設。同22年北秋田郡上小阿仁村の大字。
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途中の眺望。
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参道は続きます。
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思っていたより登りますね。
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でも道は整備されているので登りやすいです。
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サイカチ(シャカチ)の木標柱。
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この付近は…
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大正時代以前の鳥居跡地らしいです。
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痕跡は全然わかりませんでした。
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写真を見て頂ければわかるかと思いますが、参道は石段になっている箇所とそうではない箇所があります。
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到着。
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鳥居。
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境内。境内神社として山神社と大平山社があります。が、疲れていたのか写真を忘れたみたいです。
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神社庁より…◎御祭神…菅原大神、天照皇大神、大山祇大神、越大彦神 ◎例祭…4月25日 ◎境内神社…山神社、大平山社 ◎特殊神事…湯立神事(4月25日) ◎由緒…創立応永2年4月25日。応永2年城主神成三七山城国北野天満宮より城内に勧請す。「七倉山泉涌寺縁記」に曰く、『抑も小阿仁小沢田山続有七宝峰号七倉此所有館城主号神成三十七人皇百代後小松天皇御宇、応永二亥歳山城国北野右近馬場大自在神宮城内勧請号七倉山涌寺奉崇氏神比所名水湧出故也。則菅相亟之有御像依而国家豊饒武運長久子孫繁昌。』その後時移り、神成子孫改伊藤となり、正保元年に至り御神像をつくり村の鎮守に崇敬す。明治6年4月郷社に列する。明治年間陸軍省より明治27・8年戦役戦利品を下賜される。例年旧暦3月25日に祭祀していたのを、4月25日と改む。明治43年6月17日知事の許可を得、上小阿仁村小沢田無格社神明社、古四王神社、大山祇神社を合併する。大正13年1月13日神饌幣帛料供進神社に指定される。』
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秋田県の広報誌『あきた』(通巻108号)より一部抜粋…『【郷社七倉神社~上小阿仁村 田中覚治郎~】郡邑記に小阿仁小沢田村の西に山あり秋田城之介実秀の家臣加成三七古城の跡である。旧本丸に天神を祭り、無双の景地であると述べられているが、当七倉神社ならびに七倉山景観のあらましである。居村小沢田村西側直後に標高差約百メートルの吃立した山で山頂近くの広庭が旧本丸であって、神社が粛然と建っている。神社西側直後の山嶺に樹齢数百年を経た老松が社殿を掩うように数本枝を交え、東面沢平にかけて老杉、桜樹が十数本繁茂している景観は、春秋特に美しかった。今も尚その面影をしのぶことができる。数十メートル距った北側七倉山山頂に立てば、南方太平山より北方大河仁川、小阿仁川合流地点までの眺望がきき、小阿仁全域が俯がんできる要地である。特に秋紅葉の節東正面に森吉の全山容を眺蝿するのは壮観華麗である。この天神社に深い関係のあった佐伯氏、伊藤氏とも明治年中当地を去ったため、旧記に詳かであった伝承は今にして伝わらないことが憎まれる。伊藤氏は加成氏の後えいといわれ、帰農したときの戸数は小沢田村六七戸に過ぎなかったと伝えられている。正保年中は伊藤民与兵衛が元禄年中は八郎右工門、さらに正徳年中次代の八郎右工門が、それぞれ祈願して社殿の増改築を行なったと記録されている。佐伯氏は杉花村定蔵院の分れか正徳年中よりの別当と称され、後に源竜院を名乗った。小沢田村五代にわたる肝煎家田中家に享和二十年日付の天神社縁起の写が現存している。これに依れば、応永二年山城国より菅相丞の御神霊を勧請、加成氏慶長年中内神として奉斎、正保年中小沢田村氏神として祭ったとしている。このことについてかの有名な菅江真澄翁が「筆のまにまに」の中に興味あるふえんを行った記事が見られる。「小阿仁の七倉山は小沢田村にあって、麓に七倉山泉湧寺がある。山は七宝の峰ともよんでいる。秋田郡三つ七倉の内の一つで、ここの古城の城主は三つ七倉に因んで加成三七と名乗ったという。三つ七倉とは麻生村の七倉山であり、いま一つは大川村の七倉山のことである。阿倍氏が山城国北野の御神をこの秋田郡に遷し奉るにあたり、築紫の飛梅の枯枝を少しづつ神像にほりこめて、天神の御神体三柱を京都の登利仏師に作らせたものである。その御神体はそれぞれ三つ七倉に鎮座させたが、小阿仁の庄の七倉山の御身体は年の経つにつれて社殿の破損が著しかったので加成三七が再興したものである。清水七宝の峰より湧き流れ、七沢にかかる飛瀑が美事なので、麓寺をば泉湧寺と称し加藤某というばそくが住んでいた。正保年中こわれた御神体をあらたに作り直し郷中本居の御神として三月二十五日祭列することになったと加藤某の家の記録にも見えていた。小沢田村の天神の御神威はわからないが、六川天神は岡本城落城のとき類焼の厄に遇った際、御神体は自ら社木の頂にのがれ御無事であったという奇蹟があらわれた」以上が真澄翁の文章のあらましである。村人たちは在時より神格のすこぶる高い神社として尊崇して来た。幕末文化・文政期に俳人源竜院佐伯星佳の啓蒙によって文神としての神威を高め参詣人で大いに賑ったという。拝殿入口正面に、星佳以下の郷土俳人静淵・湖弄翠岱らの作句掲額があって清楚静寂の神域に文神としての雅致を具えている。』
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拝殿向拝神額「七倉神社」
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平成4年4月吉日、田中常男奉納。
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拝殿内。
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拝殿内神額「天満宮」
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注連縄。
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鳥居建立・石段工事寄付者(※氏名省略)昭和54年4月。施工者…鳥居:武石清治、石段:武石善治
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大鳥居改修工事(※寄進者御芳名省略)平成3年4月25日奉納。総工費90万6千6百4円
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「天満宮」(甲戌新春、利政謹書)
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俳句。
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達筆過ぎるため省略。
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幣殿。
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社殿からの眺望。
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豐受皇太神(明治34年仲夏)
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こちらは…
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う~ん…ピンと来ない…
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「明治38年8月建之、田中利兵衛五男、勲八等功七級陸軍砲兵伍長田中利七」
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以下、おまけ。
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秋田杉とコアニチドリの里「道の駅かみこあに」。北秋田郡上小阿仁村小沢田向川原。コアニチドリは村の花に指定されるラン科の山野草。
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かみこあに物産センター、秋田杉の館、休憩施設、上小阿仁村生涯学習センターがあります。
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特産品の「食用ほおずき」と「こはぜ(ナツメハゼの実)」を使った商品がおすすめ。お食事処「秋田杉の館」では、うどんやそば、ラーメンなどの麺類から、地元で採れた山菜やキノコを使用した定食、名物の馬肉料理、特産品のこはぜや食用ほおずきを使用したジュースやデザートなどを取り揃えています。
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道の駅「かみこあに」…『◆上小阿仁村の紹介…上小阿仁村は、秋田県のほぼ中央、北秋田郡の西南部に位置し、東北に11.9km、南北に32.7km、周囲97km、総面積は256.82k㎡であります。村の中央を「太平山」に源を発する上小阿仁川が流れ、途中、堀内沢川、五反沢川、仏社川などの支流を合わせて北流し、米代川、日本海へと注いでいます。天然秋田杉とコアニチドリ(ラン科ヒメラン属)の発見・命名の地。四季折々に姿を変える渓流・渓谷と、紺碧の稜線に囲まれて、水清き桃源郷が広がります。◆道の駅について…国道285号の改良整備に伴い、県都秋田市及び観光地男鹿半島と東北自動車道や十和田八幡平を結ぶ最短の中間地となり、国道利用者の利便を考えるとともに、地域活性化の拠点づくりの一環として、平成元年に物産センターを建設し、24時間のトイレのサービス、休憩所の提供、観光、交通の情報コーナーや物産コーナーを整備し、さらに特産品の開発とアンテナショップとしてより充実した施設として整備され、平成8年4月16日、道の駅「かみこあに」が誕生しました。平成9年4月には、「秋田杉の館」もオープンし、村の魅力のすべてがここに集まっており、個性豊かなにぎわいの場として利用されています。』
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秋田県観光案内
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県北部地区道の駅マップ
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