
弘前市中崎野脇。一之鳥居(両部鳥居)は昭和8年7月14日建之(中﨑村中)

社号標「月夜見神社」(日露戦役出征軍人紀念、三浦寅太郎、小山内権之助、松山参三、廣田藤吉、工藤兼次郎。明治40年6月14日、発起人松山榮)

参道。

岩木川中流域の左岸に位置しており、集落には後長根川、東側に土淵堰が流れます。天文年間の津軽郡中名字に「名久井萢」とあるのは当地域をさすと思われます。地内には中崎遺跡、中世の城館として中崎館跡があります。

江戸期以降の中崎村は津軽郡鼻和庄のうち。弘前藩領。寛永17年の津軽百助宛3代藩主津軽信義黒印知行宛行状に当村名が見えます。村高は「正保高帳」212石余(うち田方192石余)、「寛文高辻帳」212石余、「貞享4年検地水帳」793石余(田729石余・畑屋敷63石余)、「寛保高辻帳」212石余、「天保郷帳」778石余、「旧高旧領」870石余。「貞享4年検地水帳」によりますと小字に「野わき・河原田・苅田・平野」があり反別は田71町6反余・畑屋敷15町4反余(うち屋敷1町1反余)の計87町余。このうち田は上田から下々田まで、畑は上畑から下々畑まで設定されており、漆木は135本。元禄3年には藤代組に属しており、村位は中。集落は弘前城下から野木村を経て十三湊へ向かう十三街道沿いに発達。村内の寺社として「貞享4年検地水帳」に万太夫抱えの観音堂と大師堂が見えます。また明治初年の「国誌」によりますと、中崎村の月夜見神が三世寺村の神明宮に遷座しており、この月夜見神は現在字野脇にある月夜見神社にあたり、御祭神は月夜見命。明治4年弘前県を経て青森県に所属。同11年中津軽郡に属します。明治初年の戸数69。同12年の「共武政表」によりますと、戸数74・人口443(男224・女219)、馬58、物産は米・藁細工。同12年中崎小学が開校し、同年の教員数男1・生徒数男18。同20年三世寺小学校と合併して三省簡易小学校となり、同21年三世寺村に校舎を新築しています。同22年藤代村の大字となっています。
二之鳥居(両部鳥居)。
鳥居の鬼コがいます。
ラグビーワールドカップ2019の日本代表「中島イシレリ」タイプです。
鬼コは綺麗に塗り直されており、初めて見た時とは衣装の模様も異なります。
御神木。

三之鳥居(近藤精米所拾年記念、昭和9年10月14日建之)。笠木・島木の反増がとても美しいですね。
額束には三俵。豊作祈願です。

四~八之鳥居。順に「三浦内科・古希記念・三浦行一(平成13年11月24日)」・「松山米蔵(平成12年7月15日)」・「有限会社小山内石油店社長小山内源一(平成12年7月15日)」・「有限会社東北運輸社長赤石正弘(平成12年7月15日)」・「岩谷昭志、岩谷征志郎、柴田柾一郎、赤石文蔵(平成12年7月15日)」
街灯(昭和34年6月14日建立、皇太子殿下御成婚記念奉納、永正講創立四十年記念、相澤小三郎・岩谷清美・相澤孫一)

御神馬(昭和11年6月14日、兄弟一同:岩谷市助、岩谷由太郎、梶野秀太郎、岩谷柾吉、三浦幸吉)

手水石(安政四丁巳年)

社殿前参道。
灯籠一対。


石灯籠一対。


狛犬一対(大正13年4月14日、皇太子殿下御成婚記念、永正講一同)
当社の御祭神は月読命。例祭日旧6月14日。青森県神社庁より一部抜粋(由緒)…『当社は創立年月日不詳なれども明治以前は大師堂と称する。小野万太夫抱へ部上納米二斗五升免除 明治八年四月村社に列せられる。明治三十九年四月勅令第六号仝年六月内務省令二十号に依り神饌幣帛料供進指定せられる。昭和二十一年四月二十八日法人令に依り届出で神社本庁に所属する。昭和二十四年八月三十一日国有境内地譲与を受ける。』
なお、由緒等については以前の記事も参照ください。

拝殿向拝神額(中崎氏子一同、平成2年庚午年旧6月14日)

本殿。

牛頭天王御堂の鳥居(平成12年7月15日、岩谷策次郎)

牛頭天王御堂。

大正11年4月14日新築。発起人斉藤寅助、廣田九郎進、大工小山内友一。

絵馬(明治34年旧9月13日)

その他諸々。



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