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青森県十和田市藤島中道。一之鳥居の脇にあった石碑群。
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向って右の碑はたぶん三社託宣碑(明治21年旧8月2日)。
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その隣…う~ん…紀年銘は同じく明治21年旧8月2日。
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その隣…う~ん…実は結構雨が降っていたのでじっくり見ておりません。紀年銘は明治11年に見えたけど上に同じく21年かも。
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その隣は太平山神仙三吉神。紀年銘は明治36年3月23日。
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その隣は開墾記念碑。
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中央奥は凱旋碑。明治三十七八年役。
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参道。
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二之鳥居。
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参道。
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三之鳥居。両部鳥居。
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参道。
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四之鳥居。
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社殿の裏側に着きます。
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御祭神は倉稲魂命。例祭日9月2日。境内地917坪、本殿1坪、幣殿5坪、拝殿12坪。
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当社の由来書によりますと、『御領分中神社記』に不動堂となっているように、不動尊と毘沙門天を祀っていましたが、明治維新にあたり、倉稲魂命を祀って稲荷神社になったといいます。『藤坂村誌』にも、社の中に不動・毘沙門像の外御神体ちう2体の像がありますが、形はほとんど分からないとあります。『新撰陸奥国誌』には御祭神についての記述はなく、元禄3年8月の勧請とだけ記されています。
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『藤坂村誌』によりますと、不動・毘沙門の二尊像の台座に「于時万延元庚午 後三月吉日 不動明王像 但し毘沙門天添也 人王五十八代光孝天皇末 日本惣本家大仏師職 元祖法印定朝正統三十五世法橋七条左京康教作之」と記されているといいます。明治6年4月村社に列せられ、昭和8年9月5日神饌幣帛供進指定神社となり終戦を迎えました。
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社殿。『新撰陸奥国誌』の藤島の条に出ている神社がこれであると思われますが、境内の面積600坪、本村の西五丁にあるとなっており、社殿の規模は一間四方柾葺南向となっています。『御領分神社記』には「不動堂四尺四面弥右衛門」と出ていますが、元は小山の寺久保辺にあったといわれます。現在の社殿は昭和8年の建造で、鳥居は北向、社殿は南向。
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拝殿は桁行四間梁間三間の入母屋造でトタンを葺き、半間の廂を隔てて本殿と続いています。垂木は一重肘木は舟型肘木。向拝は唐破風造で二重垂木、虹梁の蟇股は竜、向拝柱には振面獅子を飾り、手鋏には菊に鳳凰を配した彫物を据えています。懸魚は翼竜、泰平束の笈形は雲形。鬼板には二つ巴の紋を飾り、拝殿の棟にも同じく八箇の二つ巴をつけています。
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拝殿内。正面上部に権現様が一対見えます。
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本殿は五尺に四尺ほどの流造で、二重垂木を組み、まわりに勾欄をめぐらした簡素なもので、脇障子には彫刻なし。
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社殿の南西に拝殿と廊で結んだ社務所があります。
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間口五間奥行二間半の広さで東向、お神酒あげの場所などに充てています。
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社殿前狛犬一対。
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紀年銘は慶應元乙丑年8月2日。
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石灯籠二対(昭和8年9月2日・昭和8年5月)。
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手水石。
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御神木。
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長床のような建物。
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お祭りの動画がYouTubeにあるのですが、舞台の観客席のように使われていました。
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普段は物置。
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比較的新しいものですね。
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