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湯沢駅付近を散策。湯沢市は古くから街道が交わる交通の要所。稲庭城を拠点とした小野寺氏が領土拡大の戦略的拠点として鎌倉時代後期に湯沢城を築きました。特に戦国時代に入ると湯沢市周辺は最上領と接していたこともあり、何度も戦乱に巻き込まれ、文禄4年には湯沢城が落城し最上氏の家臣楯岡満重が領主となります。江戸時代に入っても湯沢市の重要性は変わらず、慶長7年に佐竹氏が領主となると一族である佐竹南家3代義種が湯沢城に入り南方の守りの要となります。義種は城郭の整備や城下町の建設、神社仏閣の勧請など積極的に行い一国一城令により、元和6年に城が破却された後も麓に陣屋を築き「所預かり」と称して湯沢市を中心に領地を預り、半ば支藩のような形態を明治維新まで続けました。戊辰戦争では秋田藩は官軍に付いたため、奥羽越列藩同盟側の仙台藩と交戦、湯沢市も戦場なり多くの犠牲が払われたそうです。湯沢市中心部は城下町だけでなく羽州街道や本荘街道、小安街道の宿場町や院内鉱山の消費地としての商業都市として発展してきた町で、佐竹南家では奥方を公卿から迎えるなど文化的にも優れている点から小京都の1つに数えられています。祭事として「絵どうろうまつり」、「犬っこまつり」、「大名行列」などがあります。
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写真はありませんがドイツ風の町並み(建物・ネオロマネスク風)等を見てまわりました。
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旧雄勝郡会議事堂。県指定有形文化財(建造物)。秋田県湯沢市北荒町2番20号。入館無料。開館時間8:30-17:00。夜間(~22時)はライトアップされるようです。
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案内板「旧雄勝郡会議事堂」より…『旧雄勝郡会議事堂は、1892年に雄勝郡役所の議事堂として建築された建物です。1975年に県有形文化財に指定されました。寄棟造(屋根が四方に傾斜している)総二階建ての建物となっており、玄関ポーチのアーチと軒先の飾り板がアクセントになっています。1階は議長室や事務室、議員控え室などとして、2階は議場として使用されました。その後は公会堂、湯沢市役所、図書館などに使用され、現在は記念館として公開されています。県内に残る明治時代の洋風建築として価値があり、また地方行政制度の変遷を知る上で貴重な建物です。』
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県内に残る代表的な明治時代の洋風官衙建築。木造二階建、寄棟造、鉄板葺。延床面積498.51㎡
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この建物は雄勝郡役所の議事堂として独立させて新築したもので、明治24年(1891)に工事着工し、翌25年(1892)11月1日に落成式を行っています。設計者はドイツ人(氏名不詳)、大工棟梁は阿部孫四郎。基礎は二段切石布積み、外壁は下見板張りで小屋組は木造で洋式の工法をとっています。玄関は三方を吹き放し、上部を木製アーチとし、軒下に飾り板をつけています。窓は上げ下げ窓で、鎧戸をつけています。
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大正12年(1923)の郡制廃止にともない湯沢町に払い下げられ、その後、湯沢町公会堂・雄勝地方事務所、町役場、市役所、公民館、図書館に利用され、昭和57年(1982)9月まで使用されました。昭和59年(1984)全面改修工事、平成18年(2006)内壁の補修。また、竣工当時の姿を復元すべく翌19年~20年(2007~08)には鎧戸、平成25年(2013)には二階旧議場に議場柵の取り付け工事を行いました。この建築物は県内に残る代表的な明治時代の洋風官衙建築として価値があり、また地方行政制度の変遷を知る上で貴重な遺構です。
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神社がありました。
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淡路稲荷神社です。由緒等はわかりません。
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館内へ。
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1階展示室は常設展で「資料に見る雄勝郡会議事堂」でした。
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1階展示室は旧議長室(19.87㎡)、旧郡立図書館(49.69㎡)、旧事務室(49.69㎡)、旧議長控室、用務員室がありました。
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玄関ホールはアーチ型にくり抜かれた壁と一体感のある廊下が印象的です。
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館内随所に西洋モダンを感じさせる意匠の数々が施されています。
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2階展示場(旧議場・旧傍聴席)へ。
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階段は、東側に議員用、西側に傍聴者用の専用階段が取り付けられています。
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どちらの階段からも行けます。
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【沿革】
明治24(1891)年、雄勝郡会議事堂工事着工。
明治25(1892)年11月1日、落成式。
明治36(1903)年、同議事堂内に付設図書館が開設。
大正12年(1923)、雄勝郡より湯沢町に無償払下げ。湯沢町公会堂、雄勝地方事務所、逐次東側に増築しながら湯沢町役場として使用。
昭和29(1954)年3月31日~湯沢市役所として転用。
昭和36(1961)年9月9日、湯沢市役所が現在地に移転。
昭和36(1961)年9月22日~1階を湯沢公民館、2階を湯沢図書館として使用。
昭和46(1971)年10月1日~湯沢公民館(現湯沢生涯学習センター)が現在地に移転。東側別棟は封鎖し、全館を湯沢図書館として使用。2階は閲覧室とした。
昭和48(1973)年、湯沢市指定有形文化財となる。
昭和49(1974)年10月1日~昭和52(1977)年12月28日、東側別棟を湯沢市役所分庁舎として都市開発課が使用。
昭和50(1975)年4月10日、秋田県指定有形文化財となる。
昭和53(1978)年6月24日、東側別棟の建物99坪を解体。
昭和57(1982)年9月18日、湯沢図書館が現在地に移転。以降、湯沢市教育委員会が直接管理する。
昭和59(1984)年7月27日~11月10日、全面補修工事を行う。
昭和60(1985)年4月1日、名称を「雄勝郡会議事堂記念館」とする。
平成18(2006)年、2階旧議場を中心とした内壁の補修。
平成19(2007)年~平成20(2008)年、竣工当時に取り付けられていた鎧戸の復元。
平成25(2013)年、2階旧議場に議場柵の復元取り付け工事。
平成30(2018)年、館内にエアコンを設置。
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旧傍聴席。旧議場と旧傍聴席の間にはゆるいアーチで上部を結んだ柱があります。また、保存部材をもとに復元した議場柵が設置されています。
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旧議場(162.31㎡)には七夕絵どうろうまつりの絵どうろうが展示されていました。
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とても綺麗でした。
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パンフレット「祭りの由来」七夕絵どうろうまつり(8月5日~7日)より…『昔、むかし、徳川治世の時代は元禄の頃と申しますから、今では三百年くらい昔のことでございます。このみちのくは湯沢、佐竹南家七代の当主・義安様のもとに、京の都でも関白家として、とりわけ由緒を誇っておられました鷹司家に仕える諸大夫・牧義廣様のお嬢様がお輿入れになられました。御年、十四歳。幼いお嬢様を遠いみちのくにお嫁入りさせるとあっては、京の都での心配もいかばかりでございましたことでしょうか。心やさしく匂うばかりのお嬢様には、ともかくもふたりの腰元をつけてのお輿入れであったと伝えられております。あくる年、十五歳。いつの間にか「京都奥様」と呼ばれ、この土地の人々からもこのうえなく慕われるようになられたのでございますが、さすがに住み慣れた都に寄せる思いのたけは尽きることがなかったようでございます。その年の陰暦は七月七日、たなばたの夜-。満天の星を眺めやりながらの都をおしのびになる奥様の淋しそうなお姿には、おそば近くの誰もが皆こころを痛めたということでございます。都からおともなされたふたりの腰元は、せめてもの心づくしにと、五色の糸を結んだ笹竹と絵灯ろうをお屋敷の軒端にかかげ、ひと夜しみじみと都の風雅をしのびながら奥様をお慰め申し上げたとのことでございます。こんなことがありましてからは、奥様のお幸せを願うこの町の人々は、誰からともなく七夕の夜が巡り来るごとに家々の軒端に、あるいは青竹にとこの絵灯ろうを飾りつけるのが習わしになっていったということでございます。このようにして「京都奥様」と呼ばれ、この町の人々からこのうえなく親しまれました奥様は、やがて義安様が亡くなられてからは「保寿院」と称され、このみちのくで五十七歳のご生涯を全うされたのでございました。全国は、津々浦々で、毎年華やかにくりひろげられる「星祭り」のなかでも、とりわけ、みやびでしみじみとした情趣をたたえていると言われる、このみちのくは湯沢の「絵どうろうまつり」には、このような美しい物語りと、それを二百数十年にわたって受け継いできた祖先の心やさしい歴史が秘められているのでございます。かたりべ かしこ』
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