
平川市沖館宮崎。山谷商店に隣接した敷地内。平賀町誌によりますと、沖館部落のやや中央部を走る町道高畑~唐竹線の左側、今井稔氏の宅地内に鎮座し、境内はこの宅地の東南の一角で町道に面した約2坪。沖館城跡標柱(「築城年代は不詳。大光寺城南東備の砦として築城(津軽一統志)。天正7年(1579)、比山勢が大挙してこの城を攻撃したが、城主阿部兵庫介の勇戦によって撃退した。城は後に桜庭太郎左衛門信正に預けられた。この城は三・四郭から成っていたようだが、今は一部の堀跡のみ面影を留めているに過ぎない。」)のすぐ近くになります。
平賀町誌によりますと、石造鳥居が一基あり、建立年月日及び奉納者名は刻まれていないとしていますが…あります。但し読み取り辛い状況です。「明治十年六月十三日」に見えますが自信はありません。

発起人は「三浦富成、三浦宇太郎、花田安太郎、對馬嘉吉」

案内板はほぼ読み取れず。「虚空蔵菩薩…廣大菩薩の功徳を…悉く包蔵し…虚空大菩薩や…諸々の…は…家運・御…家内安全…より信仰」といった具合です。

堂宇前左右に丑と寅の石像が一対。紀年銘は大正14年正月13日。虚空蔵菩薩は丑・寅年生まれの守り本尊です。
寅。
丑。
堂宇。

平賀町誌では御神体は不明としていますが、素直に受け止めれば虚空蔵菩薩ではないでしょうか。丑と寅がいますし、実際虚空蔵菩薩に見えますし、上部の梵字もタラークなので間違いないです。

石灯籠一対(大正14年1月13日)※平賀町誌では「大正13年1月13日」としていますが、大正14年でした。




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