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碇ヶ関古懸沢田館岸。不動川沿い。上程森から不動川を渡った先です。古懸山不動院國上寺から見ると北西。
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この地は古館遺跡です。古代から中世にかけての住居跡が47戸、建物跡が119軒、鍛冶場及び製鉄炉跡19基、掘立柱建物跡5軒、柵列状遺構1、空堀跡2、青森県内でも最も古いと思われる炭焼窯跡1基も検出されている場所です。出土品は縄文前期から晩期までの土器、弥生時代後期の土器、土師器、擦文式土器、鉄製品が多く出土。ちなみに大浦為信が津軽統一に乗り出した頃、鍛冶に従事していた者の多くが碇ヶ関から加勢に出たと言われています。古舘遺跡から出土した縄文土器は縄文前期前葉が最古で、中期前葉、後期初頭、後期中葉、晩期後葉、晩期末葉が検出。弥生時代の土器は中期と後期と共通する文様が認められました。古館遺跡については平賀町誌に詳しく載っていますのでそちらを参照ください。掲載されている写真もまさに当記事の神社の場所です。
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なお、古館遺跡や古館跡に関する資料は多いのですが、当神社に関する資料は見つけることができませんでした。
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鳥居(平成13年6月5日、木村幸政建之)
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御神木。木の麓の巨石は不明。
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社殿。
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社殿内。
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廃れた感じは無く、大変綺麗に祀られているので、住人の方に聞けば色々と詳細がわかりそうです。残念ながら誰にも出会えませんでしたが。
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上の方(東北自動車道方面)に本殿が見えます。
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神社の先の道を進めば東北自動車道の上を通って向こう側に行けるのですが、行きませんでした。住所が舘ノ平ですし、恐らく中世の館跡かと思われます。
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古館跡は山城形式の居館で、津軽地方でも屈指の遺構をもつものとして検出されています。東西南北4つの郭を持ち、互いに濠塁を置いて、ちょうど四ツ目紋のように構築されており、不動館の北の出丸とも考えられています。主要部は西に張り出した鍵形の先端の区域で南北に長く、大小二郭が幅3mの空濠によって分けられて、北側の大きい方を北の郭、小さい方を西の郭としています。西の郭は北の郭の半分の規模で、この2つの郭の西側は断崖となっており、下に不動川が流れています。古館跡についても平賀町誌に詳しく載っていますのでそちらを参照ください。
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東北自動車道の向こう側から水が流れて来て…
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本殿を囲む池に溜まり…
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境内下へと少しずつ流れていきます。
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池の中央に本殿。
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棟札には「奉建立蛇王権現當内堂守家門繁昌諸願成就皆令満足祈攸 明治十九年丙戌年五月吉祥日 古懸村木村藤治郎 年二十壱歳 同村大工佐々木多市 年二十二歳」・「奉建立彌陀藥師観音當内神一宇家門繁昌諸願成就皆令満足祈攸 明治十九年丙戌年五月吉祥日 古懸村木村藤治朗 年二十壱歳 同村大工佐々木多市 年二十二歳」・「奉建立二十三夜當内神一宇家門繁昌諸願成就皆令満足祈攸 明治十九年丙戌年五月吉祥日 古懸村木村藤次朗 年二十壱歳 同村大工佐々木多市 年二十二歳」・「奉建立大天狗(杓?)當内神一宇家門繁昌諸願成就皆令満足祈攸 明治十九丙戌年五月吉祥日 古懸村木村藤次郎 年二十一歳 同村大工佐々木多市 年二十二歳」・「奉建立神明宮當内神一宇家門繁昌諸願成就皆令満足祈攸 明治十九丙戌年五月吉祥日 古懸村木村藤次郎 年二十壱歳 同村大工佐々木多市 年二十二歳」・「奉建立蛇王権現當内堂守家門繁昌諸願成就皆令満足祈攸 昭和七年四月三日大吉祥日 願主木村藤次郎、木村兼吉、大工木村丑太郎」とあります。また、すべての棟札に「聖主天中天 迦陵頻伽聲 哀愍衆生 我等今敬禮」とあります。
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「神明宮」などの文字も見えますが、しっくりくるのは蛇王権現・薬師観音ですね。ってことで、とりあえずタイトルは蛇王権現にしています。ちなみに平川市碇ヶ関久吉にも蛇王権現神社があります。
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