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五所川原市七ツ館虫流。
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2.5
じゃんばら注連縄の美しさに気を取られて三俵の裏に隠れている鬼コを見逃さないように。
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鳥居の鬼コ。
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綺麗に塗り直されていますね。
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お尻は見せてくれないタイプ(額束尻隠タイプ)です。
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社号標(昭和20年旧6月15日、白戸勘四郎建之)
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「御大典記念村社八幡宮」(昭和3年11月10日建設鳴海紋次郎)
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七ツ館(七舘)は津軽平野北部、岩木川支流十川右岸の平坦地に位置。地名の由来について『平山日記』に「寛永之頃広田村派之節七ツ館之古名を取、広田となる…其後七ツ館村古館跡之派候に付、名改ニ而七ツ館と成る、往古広田と申、館主広田ノ住人と有」と見え、はじめは広田と称しましたが、後に古館の名によって七ツ館に改称したようです。江戸期以降の七ツ館村は津軽郡田舎庄のうち。弘前藩領。村高は「正保高帳」57石余、「寛文高辻帳」726石余、「貞享4年検地水帳」702石余(田509石余・畑屋敷193石余)、「寛保高辻帳」726石余、「天保郷帳」476石余、「旧高旧領」726石余。寛永年間に開発されて成立。天和3年の御代官所村家人数之帳(八木橋文庫蔵)によりますと、下ノ切御代官所支配として七ツ館御蔵新田が見えますが、後に当村に吸収されたものと考えられます。「貞享4年検地水帳」によりますと小字として「虫ながし・鶴ぬま・やすもと流・かつら落し・しのぶ・柏ケえた」とあり、反別は田66町余・畑屋敷54町8反余。このほか開発可能な田畑地、空地、永荒田、柳原2ヶ所、沼2ヶ所、漆木10本、八幡社地(除地)があります。同4年に当村に在宅して手作をしていた小知行の者として郷警固毛内茂右衛門・郷足軽惣左衛門の2名がみえます。用水は広田堰を利用。元禄3年には広田組に属しており村位は下、家数36、うち庄屋1・百姓16・水呑19。同7年の諸職諸家業覚では居鯖2人が見えます。明和7年に荒田畑の再開発願が認められており、開発後5~9年の年貢が免ぜられています。神社は地内虫流に八幡宮がみえ、明暦年間の再建といいます(安政2年神社書上帳)。明治4年弘前県を経て青森県に所属。同11年北津軽郡に属します。明治初年の戸数59。村況は「四方田圃あり、田多し、土地菲薄なれとも苑甜瓜に適す」とあります(国誌)。明治11年に幼習小学が開校し、同12年の生徒数45(男40・女5)。同14年七ツ館小学と改称。同22年栄村の大字となっています。
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御祭神は応神天皇。例祭日は旧7月15日。創建年代不詳。安政2年神社微細社司由緒調書上帳によりますと「広田組七ツ館村 一、八幡宮一宇 右、草創年月不詳候得共、明暦年中(1655~1658)村中安全之為村中再建仕候」とあります。 貞享4年検地水帳によりますと七ツ館村に八幡社地がみえます。明治6年4月広田神明宮に合祭、明治8年2月復社。明治9年12月村社。明治35年改築。明治43年本殿造営。大正2年9月神饌幣帛料供進指定神社に列格。昭和25年9月国有境内地無償譲与許可。昭和57年5月幣殿、拝殿改築。
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以前の記事も参照ください。
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御神馬一対(昭和16年6月15日)
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12.5
狛犬一対(大正2年4月8日)
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13.5
石灯籠一対(明治25壬辰年9月15日)
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14.5
社殿。
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拝殿向拝神額。
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拝殿内。
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本殿。
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境内社。
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こちらは…
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水虎様。
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台座。
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こちらは…
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不明。
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横の絵馬から推測すれば馬頭観音(蒼前様)
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横に馬頭観音の碑(昭和52年6月19日蝦名慶一建立)もありますし。
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二十三夜塔(昭和24己丑年旧9月23日有志)
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庚申塔2基。紀年銘は読み取れず。
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