秋田県湯沢市皆瀬湯元。皆瀬川。
大瀧不動尊。不動滝付近に鎮座。
蟇股。
向拝。

堂内。2躰祀られていました。棟札をきちんと見れば由緒等は多少わかると思いますが、きちんと見ておりません。
こちらの建物は立入禁止のため見ておりません。


不動橋。

不動橋から見た小安峡。
小祠の跡らしきもの。

「栗駒の翠嵐夏を挙げしむる」石田三千丈(昭和33年秋・能代俳星社・皆瀬村観光協会)。

小安峡。
先程不動橋の上から見た付近。
凄い勢いで水が流れています。
苔チェック。
案内板「不動滝」(小安峡がここで終わった理由)より…『不動滝の形成には温泉が関わっています。この場所で湧く温泉のシリカ成分は、長い時間をかけて地層のすき間に染み込み、周辺の岩を硬く変質させました。そのため、皆瀬川は不動滝より上流の大地を削ることができず、小安峡はここで終わりました。こうして出来上がった段差により、不動滝が生まれたのです。』

温泉の成分が生み出した岩盤の石英脈。
子安観音。


小安峡滝見東屋へ。
下流の小安峡。
小安峡には、不動滝、龍神の滝、銚子の滝、女滝、明神の滝という五つの滝があります。
不動滝には龍が住むと伝えら、不動滝で修行をした住職は、龍を使い雨を降らすことができたといわれています。その為、滝つぼに石を投げ入れると雨が降ると伝えられています。
案内板「不動滝のこと」より…『「飛び散りし水の白玉わきかへり峰より高く落つる滝津瀬」。佐竹藩主義和公が小安温泉を訪れ不動滝を見て詠んだこの歌は、小安温泉碑として、天保12年(1841年)薬師堂の近くに建立されました。湯沢市岩崎に伝わる能恵姫(のえひめ)伝説には、栄が淵で大蛇と暮らしていた能恵姫が、鉱山からの毒水を避けるため皆瀬川を上ってきたところ不動滝にたどり着きましたが、既に龍が住んでいたため、やむなく赤滝(東成瀬村)に移り住むことになりました。また、不動滝で修行した住職は、龍を使い雨を降らせる術(神通力)を体得し、唐のお寺(中国の金山寺)の大火災をみごと鎮火させたと伝えられています。このため、不動滝の滝つぼに石を投げると雨が降るという言い伝えが残っています。』
パンフレットより…『不動滝で修行した僧侶は、龍を使い雨を降らせる術(神通力)を体得し、唐のお寺(中国の金山寺)の大火災をみごと鎮火させたと伝えられているよ。だから、不動滝の滝つぼに石を投げると雨が降るという言い伝えが残っているんだね。』
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