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秋田県湯沢市皆瀬小湯ノ上。
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パンフレットより…『小安峡温泉は、前九年・後三年の役の頃から、日本海と太平洋を結ぶ交通の要所として小安口と呼ばれ、明治の初めまで番所が置かれていたよ。小安御番所は、天和元年(1681年)に設置され、この場所には文化10年(1869年)に移されたんだってー♪』
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「小安御番所址」標柱より…『天和元年-元小安に置かれた。天和2年-一ノ渡りに移された。元禄2年-小湯ノ上切付に移された。宝永3年-桂沢に移された。文化11年-湯元に移された。明治2年-廃止された。』
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案内板より…『◆小安温泉の由来…その昔、木こりが山中の泉で足の傷を治している麋(カモシカ)を見て温泉を発見したという説と、片脚を折った鶴が脚を温めていたところ10日で治り飛び立つ姿を見て温泉を発見したという説があり、諸説いずれにせよ、温泉の効能を知った村人が湯壺(風呂場)を作り、近在の人が入浴したところ、さまざまな病気が治ったことから広く知られるようになり、院内銀山を見廻りに来た佐竹藩士がお供を連れて温泉を利用するなど、多くの人々でにぎわいました。佐竹藩では、温泉を発見し特に功績があった者に湯別当という称号を与え、温泉の税金(運上銀)を藩に納めた者だけが温泉経営を許されました。寛文6年(1666年)佐竹義尉(よしやす)公御入湯。宝永4年(1707年)佐竹南家御奥様入湯(お供数百十人余り)。文化8年(1811年)佐竹藩主、天樹院義和(よしまさ)公御来湯。◆不動滝のこと…「飛び散りし水の白玉わきかへり峰より高く落つる滝津瀬」。佐竹藩主義和公が小安温泉を訪れ不動滝を見て詠んだこの歌は、小安温泉碑として、天保12年(1841年)薬師堂の近くに建立されました。湯沢市岩崎に伝わる能恵姫(のえひめ)伝説には、栄が淵で大蛇と暮らしていた能恵姫が、鉱山からの毒水を避けるため皆瀬川を上ってきたところ不動滝にたどり着きましたが、既に龍が住んでいたため、やむなく赤滝(東成瀬村)に移り住むことになりました。また、不動滝で修行した住職は、龍を使い雨を降らせる術(神通力)を体得し、唐のお寺(中国の金山寺)の大火災をみごと鎮火させたと伝えられています。このため、不動滝の滝つぼに石を投げると雨が降るという言い伝えが残っています。◆大噴湯のこと…文化11年(1814年)菅江真澄60歳のとき、小安温泉を訪れ大噴湯(地元では、からふけと呼ぶ)を「雪の出羽路」、「勝地臨毫」に克明に記録しています。「湯が三、四丈(9m-12m)も吹き上がり、滝の落ちる川を越えて向こうの岸の岩にあたり、霧となって散っていく。噴湯が岩の裂け目ごとに湯気の雲を湧き起こして、雷神のような響きを立て吹き上げるように湯が出ている。」大噴湯では、現在も同じような大自然を楽しむことができます。』
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案内板より『◆小安御番所のこと…小安峡温泉は、前九年・後三年の役の頃から日本海と太平洋を結ぶ交通の要所として小安口と呼ばれ、明治の初めまで番所が置かれていました。小安口からは、宮城県栗原市花山町寒湯(ぬるゆ)温泉を経由する花山越と栗原市栗駒町を経由する文字越の二つの街道があり、花山越は宮城県志津川町(現在の南三陸町)や石巻市にも通じることから海産物の交易が盛んで、地元では「ほや街道」とも呼ばれ、現在の国道398号線にあたります。小安御番所は、天和元年(1681年)に設置され、この場所には、文化10年(1813年)に移されました。明治2年(1869年)明治新政府によって番所が廃止されるまで仙台・秋田の国境の警備を行っていました。宮城県栗原市花山町には、寒湯御番所があります。◆前九年の役、後三年の役のころ…陸奥国奥六郡(岩手県一関から盛岡あたり)を支配した大豪族の安部氏と陸奥守に命じられた鎮守府将軍源頼義との間で繰り広げられた前九年の役(1051年-1062年)では、源頼義の援軍が文字越をして往来し、後三年の役(1083年-1087年)では、数千の軍馬を率いた八幡太郎義家(頼義の子)が小安口を越えて戦い、途中、戦勝祈願のため八幡神社(皆瀬字仏師ヶ沢)を建立したと伝えられています。こうした戦いを経て、岩手県平泉には藤原氏による奥州平泉文化が築かれ、その繁栄は百年続きますが、この頃より交通の要所として小安口は重要な位置にありました。◆戊辰戦争のころ…江戸幕府を守る奥羽列藩同盟は、秋田藩を攻略するため、慶応4年(1868)7月末に国境(院内口)を越え湯沢への侵入を皮切りに、小安口からも仙台軍千人が増田(横手市増田町)まで侵出し、途中、庄内軍と合体しながら県南軍(湯沢・横手・神宮寺)を攻略し秋田久保田城へ迫る勢いでしたが、東北各地の幕府軍が降伏したため、9月19日、仙台軍三千余りの兵は、小安口より仙台への撤退を余儀なくされ、小安温泉の住民は山へ隠れるなど不安な日々を過ごしたと伝えられます。退却の途中、大砲や砲弾を不動滝に投げ入れたと伝えられ、実際、不動滝の滝壺から大砲の弾が発見されています。』
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