山形県飽海郡遊佐町杉沢宮ノ後。遊佐町語りべの館・杉沢比山伝承館近く。
目の前に庄内熊野川が流れています。なお、熊野橋付近に「松木塔」がありますが別記事にしております。
社号標「村社熊野神社」(征露紀念・明治41年3月建立)。
「鳥海山一合目杉沢熊野神社・国指定重要無形民俗文化財杉沢比山」標柱(昭和53年5月22日)。
記念碑(平成7年8月吉日)。碑文省略。明治神宮鎮座十年大祭における杉沢比山奉納公演に関連する内容です。
杉沢比山明治神宮奉納舞記念碑(昭和5年11月吉日。平成7年度いきいき遊佐マイタウン助成事業、杉沢集落有志一同建立。平成7年8月吉日)。
手水舎。
案内板「杉沢比山」より…『杉沢比山が舞われるのは村の鎮守である熊野神社です。もとは鳥海山二之王子熊野大権現とよばれ中世の頃から修験の徒(山伏)の重要な根拠地でした。はじめは、修験の徒によって舞われたものであろうが、修験道の衰微とともに、いつしか村人の手に受け継がれたものと思われます。比山は難しい舞ですから、全曲を舞いこなすには数年の歳月を費やしたと言われています。そのため「ヘソの穴から此山を見たものでなければ覚えられない」という言い伝えが残っています。杉沢比山は、毎年旧盆に行われ、8月6日の「仕組」、15日の「本舞」、20日の「神送」と3回奉納されます。全国数ある番楽の中でも、すっきりと洗練され、独特な美しい型、鮮やかな振りをとどめた芸術的価値の高いものと認められ、昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。平成7年8月吉日杉沢比山保存会・遊佐町教育委員会』
遊佐町HP「国指定重要無形民俗文化財杉沢比山」より…『◆杉沢比山とは?…遊佐町杉沢地区に伝わる番楽です。番楽とは山伏によって舞われる神楽のことで、奉納される熊野神社は、もとは「鳥海山二之王子熊野大権現」と呼ばれ、鳥海山を修験の地とする修験者が、修行のため入峰した際の二之宿とされていました。杉沢比山の発生については、はっきりとした記録は残されていません。しかし、能楽大成以前の古い様相を残すことから、少なくとも鎌倉時代ころまでさかのぼると考えられています。鳥海修験の隆盛期に修験者によって舞われたものが、その衰退とともに、いつしか村人の手に受け継がれていったのでしょう。「比山」は「ひやま」と読みますが、言葉の意味ははっきりと解明されてはいません。一例として、鳥海山を月山に対し「日山」と見立てた時代があり、その「日山(鳥海山)」に伝わる番楽という意味で、「日山(比山)番楽」と呼称したのではないかという説があります。しかし、真相は定かではありません。杉沢比山は、数ある番楽の中でもすっきりと洗練された美しい型や、水際立った鮮やかな舞振りが、芸術的価値の高いものと評価され、昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。静かな山里の星空のもと、舞台上で演じられる比山は、時に勇壮、時に荘厳で、見ているものの心を打ちます。◆折口信夫と杉沢比山…杉沢比山が世に知られる契機となったのは、民俗学者折口信夫との出会いでした。昭和5年、折口は初めての東北旅行で、8月15日に杉沢比山の「本舞」を見学し、大きな感動を受けたといいます。その後折口は直ちに芸能研究者の小寺融吉と本田安次に報せ、同月20日の「神送り」を、小寺・本田の両氏が見学しました。このように著名な民俗学者・芸能研究者の目にとまった杉沢比山は、同年11月4日、東京の日本青年館において催行された明治神宮鎮座十年大祭において奉納公演を行います。この公演の実現には、折口らの推挙があったとされています。また、2日後の11月6日には、東京靖国神社能楽堂において、民俗藝術の會が主催した杉沢比山の単独公演(全曲実演)も行いました。この上京公演以来、杉沢比山は全国にその名を知られるようになりました。◆奉納日と曲目…毎年、8月6日「仕組(しくみ)」、8月15日「本舞(ほんまい)」、8月20日「神送り(かみおくり)」の三晩、杉沢熊野神社の境内で演じられます。お盆の時期と重なることから、昔からの信仰とつながりがあると考えられます。曲目はもともと24曲ありましたが、現在はそのうち14曲を伝承しています。全曲を演じると約4時間ほどかかり、特定の日にしか奉納しない曲もあります。一部の曲は小中学生や高校生が舞うなど、後継者育成にも力を入れています。曲目~かけ謡~(一)番楽(二)みかぐら(三)翁(四)三番叟(五)景政(六)蕨折り(七)曽我(八)鳥舞(九)景清(十)橋引(十一)大江山(十二)しのぶ(十三)高時(十四)猩々』
御祭神は伊佐那伎命、伊佐那美命。
石灯籠一対(文政3辰年8月吉日)。
狛犬一対(大正15年10月吉日・齋藤角藏)。
杉沢熊野神社は鳥海山一合目で山伏の宿坊として鎌倉時代より栄えた神社です。
創建は天長11年(承和元年・834年)と伝えます。別当坊の祖先によって紀州から勧請され、古くは山伏修験の場であったともいい、鳥海山への古い登山道の一合目であり、鳥海山信仰と結びついて栄えたと伝えます。鳥海山大物忌神社(蕨岡口之宮)が一之宿と呼ばれるのに対し二之宿とも呼ばれていました。
拝殿唐破風懸魚・蟇股・木鼻等。
海老虹梁・手鋏等。
力士像(建築力士像)。
拝殿向拝正面。
拝殿内。
幣殿・本殿覆屋。
摂末社。天照皇大神宮。
吉坊神社。
疱瘡神社。
古四王神社。
馬頭観音。
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