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山形県鶴岡市田麦俣六十里山。湯殿山仙人沢は一世行人即身佛修行の地。この霊地は即身佛修行の地でした。行人たちは、五穀を一千日断ちさらに十穀を一千日断って、木の実草の根を食する木食行を厳修し、只管衆生済度のため己の一身を犠牲にして生き乍ら佛となったのです。「不惜身命厳しき修行今に見え霊安かれとひたすら祈る」
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日本遺産出羽三山「湯殿山」…『大自然の生産力の象徴である山の神が祭神として祀られ「未来の世を表す山」として語り継がれる。出羽三山神社の奥の院であり自然崇拝の聖地である。巨石の御神体から湧き出るお湯に触れると、人々は生まれかわりを果たしたと実感する。』
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仙人沢売店内。
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六十里越街道。時間があれば歩いてみたいですね。
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六十里越街道(出羽の古道、千年の路)より…『庄内地方と内陸を結ぶ「六十里越街道」は、1200年前の昔に開かれたと伝えられています。鶴岡から松根、十王峠、大網、塞ノ神峠、田麦俣を経て大岫峠を越え、志津、本道寺、寒河江を通り山形に至る険しい山岳道でした。大勢の行者や旅人たちが行き交って踏みしめられた道は、明治30年代になって新道が開通すると、表舞台から退きました。沿道には今も、時代の名残りをとどめる数多くの史跡が苔むして、ひっそりと眠っています。』・出羽三山「総奥の院」湯殿山(湯殿に現れた女神)より…『湯殿山は、お湯の湧き出る不思議な巨岩を「ご神体」としています。昔の人々は生命を産む女性の神秘を「ご神体」に重ね、「五穀豊穣」と「子孫繁栄」を託して祈りを捧げてきました。このようにして日本の古代信仰は、山と深い関わりを持っていたのです。人は神の宿る山から生命をもらい、死ぬと魂がそこに帰り、新しい生命を賜って再びこの世に甦ると考えられてきたのです。』
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六十里越街道ゆかりの人物。
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「弘法の渡し」「本明寺(本明海宗和上人)」「注連寺(鉄門海上人)」「大日坊(真如海上人)」「庚申塔」「皇壇ノ杉(大日坊旧境内跡)」「多層民家」「弘法茶屋跡」「花ノ木坂」「護摩壇石」「小掘抜・大掘抜」「細越峠」「遥拝所」「一杯清水」「塹壕跡」「一本橋の湯殿山碑」「湯殿山神社」「石畳」「弓張茶屋跡」「四ツ谷山の神」と色々見所があるようです。※説明省略
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8.2
8.4
こちらのHPが参考になるかと思います。
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9.5
御本宮御神湯の由来…『湯殿山のご信仰は、宏大無辺なる、この世の全てのもの、何ものをも包みこむ慈しみの御心、また月山、羽黒山、湯殿山の三山を詣でることにより、過去、現在、未来を経る三関三度の教えによる、生まれ変わりの信仰とも言えます。尽きることの無い、満ち溢れるような御神徳の如く、滾々と絶えることなく流れ出づる御神湯を身に纏われた大神様(御神体)は、時の移ろいの中にも其の御姿は変わらず、閉山中の厳寒期の十メートルを優に越える積雪の中にもぽっかりと、太古の御姿そのままに鎮まります。梵字川の流れに耳を傾け、湯殿山のなだらかな山容を愛で、四季折々の眺め、草木のよそぎ、その香りを肌に感じながら、暫し俗世を離れてこの幽玄の世界に浸り、湯殿山のご信仰であります生まれ変わりの時を過ごし、心身ともにあらたかなる神の御恵を頂戴されんことを切に念じております。尚、他社では御社殿奥深くに鎮まります御神体を、当社ではそのままに拝し、加えて御神徳の証でございます御神湯を踏み、直接触れてお参りのできる全国でも稀にみるご信仰が今に息づいている、現世とはかけ離れた神域です。そのため古来、山内のことにつきましては、言わず語らずの定めがあり、俳聖松尾芭蕉も、奥の細道の途次、月山を越えてこの御山を拝されておりますが、戒めのままに詳しくは記さず、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の一句を残すのみです。御垣内は撮影禁止となっておりますので、ご協力ください。』
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丹生鉱泉御神湯風呂の由来…『源泉:丹生水上神社、御祭神:丹生都日女神。ここ湯殿山参籠所より湯殿山神社本宮に向かう参道には十数社の御末社が鎮座しておりますが、内一社に水の神様であります丹生水上神社がお祀(まつ)りされております。古来丹生鉱泉と称し、源泉温度十八度の炭酸鉱泉が今でも滾々(こんこん)と湧き出ており、全国よりご崇敬を頂いている信仰の証、象徴として、御本宮の御神湯と共にご参詣の皆様より用いられておりました。また、昭和に入りましても鉱泉の近くに岩清水小屋が営まれ、参詣者に丹生鉱泉のお風呂と山菜などの山の幸を提供しており、最近の調査でも、婦人病、胃腸病、糖尿病、肥満症などの効能が認められています。平成17年は、湯殿山御開山1400年の佳年に当たり、大神様の更なる御神徳の宣揚を図り、益々世の人々の幸せを願い、この故事に因(ちな)んで丹生鉱泉御神湯風呂を新設いたしました。ご参詣の皆様には心静かに御神湯に浸り、湯殿山大神様のご加護のあらんこと、御力を頂戴されますことを念じる次第であります。ご利用時間:午前10時~午後3時。入湯料(宿泊者無料)500円。①御神湯風呂は神様の御神湯に入り、心身共に大神様の御神徳を頂くことを旨としておりますので、浴室内には湯船と神棚があるだけです。洗い場、シャワー等の設備はありませんのでご了承ください。②掛かり湯をしてから入りください。③湯船は一度に7、8名が入れるほどです。④飲酒後の入湯はご遠慮ください。※ご利用時間以外は一階に通常の24時間利用の浴室もございます。※入浴に適した温度に保つため加温しております。』
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湯殿山神社大鳥居(平成5年10月竣功)。
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社号標「出羽三山霊場湯殿山神社本宮」
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「奉献昭和39年7月15日大和教団教祖保積史子」。
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手水舎。
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斎藤茂吉歌碑「わが父も母もいまさぬ頃よりぞ湯殿の山に湯はわき給ふ 茂吉」
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石燈籠一対(奉納新潟市三川寛司・ユキイ、平成7年8月8日)。
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17.5
鳥居扁額「出羽三山神社奥宮 湯殿山本宮」(酒井家17代当主酒井忠明書)。
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高さ18m。
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行人塚・玉垣供養碑。
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20.5
即身佛修行之地湯殿山仙人澤。
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即身佛。
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模擬像だけどかなりリアルです。
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由来…『湯殿山は出羽三山の奥の院として明治の初めまで神佛習合の霊山として栄え此処、仙人沢は木食行人(一世行人)修行の霊地でありました。庄内地方にある即身佛六体(眞如海上人 大日坊 朝日村大網・鉄門海上人 注連寺 朝日村七五三掛・本明海上人 本明寺 朝日村東岩本・鉄龍海上人 南岳寺 鶴岡市・忠海上人 海向寺 酒田市・円明海上人 海向寺 酒田市)は、皆湯殿山仙人沢に於て五穀を断ち十穀を断って厳しい修行を重ね衆生済度のため挺身された尊い方々であります。最近この霊場、湯殿山仙人沢の信仰史蹟を広く顕彰して欲しいとの要望がある矢先、映画「月山」に於てミイラ像を作製した御縁で鶴岡市出身医博秋山太一郎氏より模擬像の奉納がありました。奇特の至りで湯殿信仰を物語る貴重な資料であります。湯殿山本宮』
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湯殿山碑(明治34年7月吉日)。天下泰平、國家安穏、師清運海上人、五千日山篭集碑中興髙井龍運海、大世話人田麦九助などの文字が見えます。
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憂国碑・錨地蔵尊(酒井忠治謹書)。
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平成9年建立。大東亜戦争に従軍された幾多の若者が、アジア各地の山野に海に空に転戦し、中には特別攻撃隊員として挺身散華されました。その勇魂は船の安全を保つ錨のように平和を支える礎となられました。
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句碑「灯火も手向くる水も誠阿らば魂乃行方を知るのも■■」。
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和泉山光明院鷲尾道諦信仰碑(平成6年6月18日建立・酒井忠明書)。建碑沿革『新発田市 光明院 鷲尾道諦夙に敬神の念篤く 奥宮湯殿山には累代崇敬を捧げて来た家柄である 曽て産後の肥立が悪く 再起不能を宣告され病床に臥し悲嘆にくれておった時 祖父が湯殿山より戴いて来た梵天をちぎって御神湯にひたし 毎日護符として 飲ませてくれた その御霊験により健康を取り戻し 今日丈夫でおられる 湯殿山は命を救ってくれた神である 生涯かけて大神の洪大なる御神恵に報いなければならぬと堅く心に決め 真心の奉仕を捧げる誓いを立て 片時も忘れず実践して来た かかる篤行は世の普く識るところであり 師は正に湯殿大神の御神威発揚を率先躬行された方であり そのひたぶるに挺身されるお姿は気高く 尊く世の師表と仰がれ 後進のよすがとなられむことを切に冀ひ茲に建碑の由来を誌す 平成六年六月十八日 出羽三山神社宮司 阿部良春撰文 檀所院 養清坊 星野三男敬書』
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行人堂内。
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水子地蔵尊。水子地蔵尊像の建立沿革…『行の山、浄めの山、霊魂の鎮り坐すお山として、広い信仰をあつめている出羽三山は日本人の心のふる里・源郷として、年間二百万の登拝者を迎えている、本邦屈指の霊山であります。就中、奥宮湯殿山は三山信仰の中核として特異な信仰によって培われ、その霊妙なる功徳は、一切の罪障を消滅し、新たなる生命の息吹きを与える甦りのお山として、古くより尊崇されて来ました。そして、現代に於ても魂の浄化により、生きとし生ける者に無量の幸福を与えるお山として、来山者年毎に多きを加えております。今般この湯殿山仙人沢の霊域に懸案の水子地蔵尊像を建立し、縁故の水子の御霊を慰め、顕密二界に亘る真の倖せを祈ることに致しました。この趣旨に御賛同の方々大勢より、心の篭った浄財御献資を仰ぎ、見事竣功されました。依って茲に特別奉賛者の御芳名を刻し、その真心を永代に顕彰するものであります。平成7年10月10日出羽三山神社宮司阿部良春敬白髙橋嶔崖謹書』
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秋山家顕彰碑(出羽三山神社宮司宮野直生書)…(碑文)『「父子孫へと継承される出羽三山信仰を讃えて」庄内平野の東南に牛の伏したような姿で横たわる出羽三山 庄内地方の人々は生涯にわたり 眼前に広がる三山の神々に手を合わせ 夏季には三山参りをする慣わしがある 間もなく創業百年を迎える秋山鉄工株式會社は代々篤信家である 初代秋山好市氏は明治24年鶴岡市紙漉町に生まれた 生家は貧しく小学校三年生を終えると同町の釣具屋に奉公に出た 生来創意工夫に長け 20歳のとき発明家齋藤外市に認められて助手となり 大正8年大山町で木綿の織物工場を開業 11年独立して鶴岡に移り住み 秋山商会を立ち上げ岩田式籾摺機の特約店となって成功した 米一俵買うことができるようになったのも三山の神々の御陰と 同年湯殿山の月光坂に鉄梯子を奉納された この場所は登拝道の中でも特に険阻で 鎖を頼らなければならない難所であったからである また 特約店を経営するかたわら農機具の発明や改良を重ね 昭和11年秋山農機製作所を創立し 戦後は多くの農機具の特許を取得して業界から注目された 大量生産する企業が躍進する中で 秋山のものでなければ農機具ではないと言わせるほど農家に絶大な信頼を得ていた 昭和44年7月23日死去 享年78歳 同年数多くの発明と長年に亘る農機具発達への貢献が認められ藍綬褒章を賜られた 大正4年に生まれた長男太一郎氏は医学の道に進んだ 戦争が色濃くなった昭和16年東京帝国大学医学部卒業後 医学博士を取得して医療用高分子の研究に取り組み人口血液樹脂を手掛け 34年日本高分子材料研究所と高研を設立する きっかけは 上顎癌手術後の顔の醜さに失望した女性が自殺するという事件で 再形成できる方法があればとシリコーンの研究に専心した 結果 生体モデルの開発で第一回科学技術庁長官賞を受賞 「KBカラム」で日刊工業新聞十大新製品賞を受賞する 52年には故郷鶴岡に高研の工場を開設するに至る 科学者らしい計画に即した行動をとりながらも 杓子定規を嫌う反骨を持ち続け 常に流動を認め 精神は柔軟であり 無類な感情の豊かさから 61年荘内日報社社長に就任し 翌年勲四等瑞宝章を受章する 日常生活にあっては父好市氏同様信仰に篤く 55年湯殿山仙人沢の永代供養玉垣に即身仏安置御堂が建立されると シリコーンによる即身仏御像を奉納し 61年出羽三山神社の責任役員となる 研究者でありながら 企業人として マスコミ人として 更にはオピニオンリーダーといくつもの顔を持ち 生涯を通し故郷庄内を愛しエールを贈り続けた 平成18年1月5日死去 享年90歳 大正7年に生まれた二男太三郎氏は父の跡を継いだ 県立鶴岡工業高等学校電気科卒業後 程なくして戦地に赴く 戦後復員して父の仕事に携わるが その後上京して創意工夫に長けた父好市氏の血筋を受け継ぎ 昭和35年には東京秋山鉄工を創業する 45年より真空装置の分野を手掛けたが 51年父の死とオイルショックによる打撃で工場を閉め 帰郷後は上京中の真空装置の分野で立て直しをはかり軌道に乗せた 平成3年創業70周年を機に社長職を子息周三氏に譲り会長となる 生涯に亘り父好市氏の奉納した鉄梯子の修繕に努め 8年には社長周三氏とともに 新たに月光坂に鉄梯子 そして羽黒山山頂の歴史博物館正面階段に手摺を奉納設置されるなど崇敬の念は父から子へ 子から孫へと伝えられている 平成20年7月11日死去 享年90歳 昭和25年に生まれた周三氏は 47年芝浦工業大学を卒業し 2年後父太三郎氏の会社に入社する 父と共に真空装置を手掛け 平成3年第三代社長に就任するや積極的に事業の拡大を図り 10年には近接する大宝寺字日本国に工場を増設する 周三氏もまた祖父や父に負けず劣らず奇抜なアイディアを提唱し 私財を投じ少年少女発明クラブを支援し ものづくりの継承に力を注いでいる 崇敬の念も篤く 鉄梯子は人の命に関わるものと太三郎氏の跡を受けて無償で点検修理を続けられている ここに秋山家三代に亘る赤誠を讃え顕彰之碑を建立する 平成29年6月吉日出羽三山神社宮司宮野直生撰文』
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奥から阿部良春大人之命(第22代出羽三山神社宮司、平成13年6月19日帰幽享年82歳。時世の歌「弥貴き神の御恵謝びつつ不帰の旅路は和みて逝かむ」)、供養碑奉賛者名碑、三川ユキイ刀自之命(「大神に誠捧げし刀自なれば御霊安けし湯殿の山に」平成8年3月3日享年69歳、施主三川寛司)、三川寛司信仰碑(「三山に捧げし一途の真心は代々承け継ぎ語り継ぎなむ」平成16年7月19日建立、蒼竹江川清謹書)
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誓願の碑(「普遍的な正しい誓いの立てられる人がいるうちはこの世というのはきっと救われる。一人ひとりがそういう誓願をもって死ねたならば必ずこの世に生きている人たちは救われる。」湧気行代表佐藤美知子、出羽三山宮司緒方久信)。
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「南無妙法蓮華経」(出羽三山一字一石寶塔者、維持佛紀2561年9月27日石老山伯凰院、天光結社、天髙光明會建立之、出羽三山神社宮司宮野直生代、非戦平和、反原発、国土安穏、発願功徳主佐藤玄宗)。
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他にも色々ありますが大鳥居へ戻ります。長くなりましたので『湯殿山神社(鶴岡市)~其之弐』へ続く。
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