
黒石市竹鼻宮元。

社号標「村社八幡宮」(明治44年6月13日村中)

参道。
この左手に下記で紹介する竹鼻の文化財である石塔群があります。

一之鳥居。
前回の記事:『竹鼻八幡宮 (五庚申塔・廻国納経塔・百観音碑 / 黒石市)』
狛犬一対(平成13年7月15日乗田兼雄※発起人者名省略)
二之鳥居。
石灯籠一基(奉大東亞戦争、紀元2602年、昭和17年乗田夘之介42才建之)

石灯籠一基(明治百年記念、昭和43年11月津川武六)

石灯籠一対(大正11年旧9月12日)


石灯籠一対。


御神馬一基(平成4年4月23日、奉納者乗田周一・トシ、乗田長孝・育子、乗田慶四郎・シサ、乗田兼雄・マツ、浪岡町成福石材店)

御神馬一基(昭和16年旧3月15日)
奉納者は乘田繁太郎と…成田繁司かな…なぜかこのような状態で読み辛いです。

狛犬一対(紀元2600年記念)
阿形の台座のみ新しくなっていますが、紀年銘は昭和15年旧6月15日とそのままでした。吽形の前頭葉も修復されています。
石灯籠一対(紀元2601年、昭和16年4月15日)
狛犬一対(明治20年4月15日)。
それにしても「乗田」という名字が圧倒的に多いですね。ちなみにネットで少しだけ検索してみたら「青森県、北海道、佐賀県。青森県の津軽地域に多数みられる。田は地形、乗は推定で乗る場所から。弘前市下白銀町が藩庁の弘前藩士、佐賀県鹿島市常広・高津原が藩庁の鹿島藩士に江戸時代にあった。青森県黒石市竹鼻、佐賀県鹿島市古枝に江戸時代にあった。同地では農業に従事していたと伝える。山口県下関市豊浦町大字川棚では農業に従事していたと伝える。」とのことです。やはり竹鼻に特別多い名字なんですね。

社殿。
御祭神は譽田別尊。例祭日旧6月15日。境内地919坪、本殿0.5坪、拝殿9坪。

延宝3年(1675)4月15日竹鼻村中にて建立。貞享4年検地水帳に伊豆大夫抱えの八幡宮があります。安政2年神社書上帳によりますと、宝暦十庚辰年三月、文化十三丙子年八月、天保十二辛丑年九月の棟札所有し、右堂社古来より村中にて再建仕来候とあり、代々村中にて社殿を改築し今日に至ります。

明治6年に愛宕神(御祭神は経津主神)、神明宮、二双子村の伏見神(御祭神は大宮姫命・少彦名神・大己貴命)を相殿として遷しています。
その他【竹鼻八幡宮年表(略)】
・延寶8年堂社帳又は山伏-寺社奉行成田七郎右衛門・岡文左衛門。八幡之宮者-従古來雖有之建立之由緒不詳、神主伊勢太夫、屋敷宮付
・貞享4年陸奥國津輕郡御検地水帳-八幡社地10間4間1畝10歩、宮建有之、伊豆太夫抱。境内林45間40間半6反22歩
・元禄15年大行院、堂社縁記修験道由緒-大行院大先達法印、長慶
・寶永元年社堂境内記-八幡宮境内東西57間南北32間、社地東西10間南北4間、同宮5尺4面東向。延寶6年在建立
・正徳元年寺社領分限帳-八幡宮在建立、浪岡村、伊豆太夫預
・寛延3年弘前並在々浦々建立社堂帳面-長利薩摩
・寶暦9年神社書上帳-小野若狭・長利薩摩、竹鼻村八幡宮、有馬伊豫預
・安政2年神社書上帳-竹鼻村八幡宮一宇。中野村社司有馬伊豫。右者、延寶三卯年閏9月晦日村中にて建立仕候。御供米、並、祠堂田地共無御座候。堂社、板葺、東西3尺8寸、南北5尺。御棟札、寶暦10年3月、文化13年8月、天保12年9月。神事、3ヶ年に1度4月15日定例執行。社地、東西10間南北4間。境内林、東西45間南北40間半、御除地社司抱。右堂社、古來より村中にて再建仕來候、尤、先祖より代々所持仕來候
・明治9年新撰陸奥國誌-竹鼻村八幡宮境内40坪、本村の南端西の小路南側にあり、本社4尺4方北向、拝殿2間4方、鳥居2基
・明治25年弘藩明治一統誌-内藤官八郎

祈禱四十二年記念碑(鎌田)・手水石。鎌田も多い気がします。

祭具庫。中は確認していませんが「宮太鼓寄附人名」の木札が貼り付けてありました。

「神明宮社」「愛宕宮社」「保食宮社」「大山祇宮社」「稲荷宮社」「権現大神社」

一之鳥居付近の石塔群へ。


竹鼻の文化財(市指定民俗文化財)…『【竹鼻の五庚申塔】昭和59年10月12日指定。文化6年(1809)「五庚申の年」に豊作を祈願して建立。津軽ではただ一基。【竹鼻の廻国納経塔】平成元年3月3日指定。正徳4年(1714)に六十六か国霊場の完行記念として建立。津軽最古の碑。【竹鼻の百観音碑】平成元年3月3日指定。西国・坂東・秩父の百観音霊場巡礼の記念塔。正徳4年の建立は津軽最古。』平成2年3月黒石市教育委員会

標柱。

廻国納経塔。正面中央に「奉納中供養」、上部に梵字「阿弥陀三尊」、下部に「六十六部」、左右に「正徳四甲午歳二□□□」「二月廿五日安兵」などと見え、側面に「同行一連」、裏面にもその名が彫られています。
黒石市HPには『竹鼻の八幡宮の境内にある廻国納経塔(かいこくのうきょうとう)は、正徳4年(1714)2月25日、竹鼻村の乗田安兵衛夫妻によって建立された。どのような経緯で建立されたものか明らかではないが、施主である乗田安兵衛は、「百観音碑」(市指定有形文化財)の建立にも関わっていることから、当時の竹鼻村の豪族であると思われる。このほかに廻国に関わったと思われる関東地方9人の人名が刻まれている。「廻国納経塔」とは、66部の法華経を全国66か国の霊場に一部ずつ納経するため国々を廻ったこと、または廻っていることを銘文にした碑である。また、廻国の行者のご利益や縁にあやかり、土地の人が協力者(施主・世話人)となって碑を建立することもあった。廻国納経塔は、津軽全体でもわずか5基しか確認されておらず、その中でも竹鼻にあるこの碑は津軽最古のもので、貴重である。』とあります。
石仏の上半身。

竹鼻の百観音碑。正面中央に「南無觀世音菩薩」、上部に梵字「サ」、下部に「敬白」、左右に「奉巡禮西國秩父坂東」「奉供養石塔為二世安兵」と見え、側面に「願主 乗田安兵衛 林助左衛門 井戸庄兵衛」と紀年銘。
黒石市HPには『江戸時代にお伊勢参りをはじめとする寺社参りがさかんになり、各地に33番札所が設けられた。その中でも西国・坂東・秩父の三国百番巡礼が最高とされたが、長期間の日数と莫大な費用を要するため、かなり裕福な者でなければ巡拝できなかった。そこで巡礼の記念に「百観音碑(ひゃっかんのんひ)」を建立し、お参りにいけなかった人がこれを拝むことで百観音参りのご利益に授かることとした。竹鼻の八幡宮の境内に建立されている「百観音碑」は、正徳4年(1714)8月、竹鼻村の乗田安兵衛、林助左衛門、井戸庄兵衛の3名が願主となって建立した。乗田安兵衛は同年「廻国納経塔」を建立しており、この影響を受けて巡礼したものと思われる。百観音碑は、津軽地方では黒石市上十川、平川市、大鰐町に1基ずつ確認されているのみであり、その中でも竹鼻の碑はもっとも古い碑として、たいへん貴重なものである。』とあります。
竹鼻の五庚申塔。正面中央に「𥨱以五庚申供養」、上部に「日輪月輪」と梵字「バーンク」、左右に「佐々木□□」「文化六己巳年」「九月三日田之沢村中」と見えます。黒石市HPには『竹鼻の八幡宮に建てられている五庚申塔(ごこうしんとう)は、文化6年(1809)9月3日に田之沢村で建立された石碑である。田之沢村は現在の浪岡町本郷地区に所在していた集落であるが、明治に廃村となったため八幡宮に移されたという。庚申塔とは、「60日に1回巡ってくる庚申の日に寝ると、体内から「三尸(さんし)」と呼ばれる虫が抜け出してその人の寿命を縮めようとするため、その日は寝ないで起きていなければいけない」という信仰に基づいて建てられた石碑のことで、江戸時代を中心に多くの地域で建立された。この庚申の日は、年に6回が一般的であるが、閏年の関係で5回の年と7回の年があり、5回の年は「五庚申」、7回の年は「七庚申」と呼ばれている。五庚申の年は凶作、七庚申の年は豊作であるとされ、五庚申の年には豊作祈願、七庚申の年には豊作に感謝して碑を建てることがあり、この碑を「五庚申塔」、「七庚申塔」という。津軽地方では約1700基、黒石市内でも91基の庚申塔が確認されている。その9割が五庚申または七庚申の年に建てられているが、「五庚申」と刻字されているのは、竹鼻八幡宮の1基だけで、貴重である。』とあります。
庚申塔。上部に日輪月輪、左右に「天保三」「九月十七日講中」、下部に「村中」※名前は読み取れず。
青面金剛童子。上部に日輪月輪、梵字「阿弥陀三尊」、左右に「文化五戊辰天」「八月廿七日」などと見えます。
こちらは正面中央に「□□□□□菩提」、上部日輪月輪、梵字「キリーク」、左右に「施主田」「倩□蜼捨悪持」「善之行位区」「□佐々木□□□」などと見え、裏面に「寛政十二庚申八月□日」と見えます。
青面金剛像。
馬頭観音。
二十三夜塔(安政二乙夘年五月二十三日、乗田文兵衛(外8人))
庚申塔(慶應元乙丑年六月二十七日)
庚申塚(嘉永七甲寅年八月二十四日)

御大典祈念(昭和3年11月10日)は見逃したかな。
































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