1
平川市岩館下り松。かつて紹介した板碑や卯辰両歳餓死者供養塔(ヘビ塚)等の近くです。元々境内前に木造大鳥居がありましたが、現在はないので場所がわかりにくいです。ちなみに神社隣は「平賀文化財めぐり」著者の故斎藤譲氏の自宅だとか。さて、岩館部落は鎌倉時代から開けた集落で、曽我時広が地頭代職検校(寺の総官職)として支配。その遺跡としてバイパス沿いに板碑が残されています。曽我一族は後に同族争いを起こして、遂には南部氏に滅ぼされ、史跡文化財は勝者によって悉く破却されて消滅したといいます。
2
自作農創設記念碑(昭和21年4月16日建之)。碑文…『自作農創設記念 柏木町農業會指導部長鎌田源四郎氏ハ岩舘部落ノ窮乏セル者多キヲ憂ヒ其ノ厚生ヲ考慮シ大地主櫻庭秀輔氏所有地二十四町九反歩ノ自作農ヲ期シ右事情ヲ櫻庭氏ニ訴フ氏ハ時局ノ認識深ク喜ヒテ承諾セラル仝廿一年二月小作人六十五人遂ニ其ノ登記ヲ完了セリ依テ茲ニ記念碑ヲ建テ鎌田氏ト櫻庭氏ノ好情ヲ後世ニ傳フルト共ニ誓ツテ更生ヲ圖ラントス』。裏面には65名の旧小作人名。
3
参道は左に直角に曲がります。参道入口には一応橋が架かっています。堰は完全に埋められていますが、かつては水が流れていたそうです。
4
社殿正面。
5
石灯籠一対(安永3年4月17日斎藤繁庸寄進)
6
6.5
手水石2基(大正9年旧10月16日、北樺太占領紀念)
7
7.5
社号標「天照皇太神宮」(岩館村中、明治39年4月16日、日露戦役記念軍人、岩淵松五郎、中畑三次郎他5名)
8
8.5
朱塗木造両部鳥居2基。
9
9.5
狛犬一対(昭和37年7月16日、栗林孝一他奉納)
10
10.2
10.4
10.8
狛犬一対(明治27年12月16日、岩館村中、発起人、中畑萬吉、太田岩次郎他22名、石工林安次郎)。斎藤甚助の名も刻まれております。
11
11.2
11.4
11.8
拝殿。東面、間口4間半、奥行3間、寄棟屋根。御祭神は天照皇大神。例祭日7月16日。境内地193坪、本殿0.5坪、拝殿15坪。草創年月不詳ですが寛永年中の勧請といいます。昭和21年3月29日宗教法人令により届出、昭和25年2月28日境内地無償譲与許可。拝殿内には岩館松明囃子保存会奉納の十二支の絵馬や古い天照大神の奉納絵2枚(昭和30年岩館婦人一同、明治)等が飾られ、右におしら様、左に木製の御神馬があります。
12
藩内神社調(明治4年)より…『岩館村 並勤小山内為織 右者寛永年中勧請 祭神天照皇大神 祭日4月16日、8月17日 本殿四尺三寸ニ二尺五寸板葺き 神楽殿二間半ニ二間萱葺 鳥二宇 神橋一ヶ所 社地十二間×六間 造営当村中ニテ 一藩マテ二里』。貞享4年御検地水帳より…『観音堂地 拾弐間×六間半 弐畝拾八歩 同建有之村中抱 右堂地従古来除来ニ付新検吟味之上前々之通除之者也』。廃社調(明治5年5月)より…『岩館村観音堂は廃社(神官小山内為織)』。新撰陸奥国誌より…『神明宮境内78坪本村の南一丁田畠の間にあり。相殿 神明宮 明治五壬年四月原田村より迂し祭る 闇龗神 同月石郷村より迂し祭る 本社六尺四面南向板葺 神楽殿二間半に三間本社の南にあり 石灯籠一座 鳥居三基 何の頃の鎮座なりしや詳ならす旧来当社並に原田村神明宮は小山内為織免せられて今は斎藤実が掌となる』
13
14
拝殿右横にブロック塀に囲まれた本殿。南面、3尺4方。
15
本殿裏の御神木。
16
手水鉢(北樺太占領記念、大正9年旧10月16日、北樺太軍役夫従軍者岩淵三之助他16名奉納)
17
脇社の千手観音です。ブロック塀に囲まれています。下調べでは北樺太占領記念の手水鉢の他に、石造鳥居(昭和12年8月12日、笹森甚助)もあるはずでしたが存在せず。
18
石灯籠一対。
19
19.5
下調べでは、昭和16年6月12日、発起人笹森甚助他35名奉納の石灯籠一対とありましたが、一基には昭和13年とあります。
20
20.4
20.8
2尺4方。神明宮参道に直角に北面。
21
岩館の村人は当神明宮を参拝する際には、まず神明宮に参拝し、次に脇社の千手観音を拝み、最後に塞神三柱を参拝することを通例としていたそうです。
22
隣の小祠。
23
不明の石塚一基。なお、石像神鳥(昭和4年旧6月12日、乳井奈良某奉納)、石灯籠一対(昭和16年6月12日、発起人笹森甚助他35名奉納)、山神(昭和7年旧4月12日建立)、石塚一基(建立年月不明)、これら昭和4年から16年奉納献石造物は、ゴミソ栗林いとの自宅に奉納されたものを、いとが亡くなった(昭和30年11月)後に境内に移したものです。
24
山神(昭和7年旧4月12日建立)
25
村社紀念碑(昭和3年11月8日)
26
塞神三柱(慶応4戊辰年3月12日村中)の道祖神。領内の守護神であり、外から侵入する妖魅悪に対し、八衢比古、八衢比売、久那斗神の三柱を祀ったもので、幕末に国学者平田篤胤が復古神道の立場から庚申信仰を平安初期の道饗神に塞神の字をあてて比定したものともいわれています。
27
庚申塔(明治27年10月)
28
平川市岩館に関することではありますが、以下は少し内容が変わります。
29
岩館部落から国道7号線バイパスに通ずる入口左側に牛頭天王社があるとのこと。部落内を色々と歩いてみたのですが、結局場所がよくわかりませんでした。方向音痴なので。
30
この牛頭天王社に関して「岩館部落史」には次のように記されています。「(前略)一、下モ村産土は牛頭天王を祭る。今の下モ川原に出る作場道。右脇社寺之一村六月十三日に尊之者也。」。なお、この社は斎藤哲彦氏の宅地内東南の一隅にあるそうで、御神体は不明とのこと。
31
以下は散策している時に見つけた石碑。
32
『甚助屋敷 岩舘齋藤本家 歴代居住之地 別家惣助九代目馨書』とありました。斎藤甚助家は300年にわたって栄えましたが明治期に没落。岩館の長者様と言われる最盛期は2代~5代で、寛保から文政年間の約90年間で、その繁栄が明治まで続きます。江戸へお米取引で莫大な財力を得て、藩に献上した米や金銭は相当なものでした。2代甚助は米2240俵と金子30両、銭2貫170目を献上。その後の代も5000俵、7000俵と桁外れの献上。全国長者番付でも上位であったといいます。
33
岩舘齋藤本家とあるのでこれかと思ったのですが、牛頭天王社なのかどうかは確証を得ず。
34
そしてこちらはまた岩館部落内の別な場所にあった石碑ですがまったく読み取れず。
35
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ