平川市本町北柳田。
前回の記事:『三重塔跡(平川市本町)』
三重塔跡…『慶長4年(1599)、津軽為信は女婿建広を大光寺城主として在城させたが、慶長8年(1603)にその夫人・富姫が死去したので、父為信はその死を悼み、この地に三重塔を建立した。その塔は寛永10年(1633、寛永7年、寛永12年とも)落雷により惜しくも焼失したとされるが、礎石はそのまま残った。ただ、焼失した痕跡は一切見受けられない。この場所には大日堂もあったといわれ、その礎石が付近一帯に散在していたが、猿賀蓮乗院に搬出され、境内も削平されて昔日の面影を失ったが、礎石二個のみ同院より譲りうけ市文化センター敷地内に保存されている。平成12年10月平川市教育委員会』
石段。
三重塔跡。
久々に来ました。
富姫様四百遠忌供養碑(大光寺城主津軽左馬頭建廣室、藩祖津軽為信公息女、慶長八年四月二十一日没、然慶妙悠大姉)。
裏面碑文(一部抜粋)…『津軽為信公の息女であり大光寺城主津軽左馬頭建廣室であった富姫様は慶長八年(1603)に没した。父君の為信公は姫の菩提を弔うためこの地に三重塔を建立したが現在はその礎石のみが残されているだけである。姫の四百遠忌にあたり関係者一同が相諮り供養のためこの碑を建立するものである。平成十五年八月三十一日建之』
関連記事『大日堂礎石 (平川市)』
コメント