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平川市本町富岡。大光寺種元との境くらいに鎮座。参道入口には鳥居ではなく屋根付の門があります。資料によりますと「参道入口は道路沿いを流れる堰をこえたところに屋根のついた高い門があって、ここから住宅に挟まれた参道を百㍍ほど行くと、右側に大正三年三月十四日、御大典記念に建てた社標「村社・八坂神社」と「昭和七年旧九月十四日、満州事変記念須々田永太郎・すみ」奉献の石造大鳥居があり、この鳥居をくぐると目の前に六羽川があり、この川にかかる八坂神社橋(昭和五十年十一月竣工)を渡ると大木の杉の間に銅板でおおわれた大鳥居があって…」とあり、現在とは配置が少々違っていたようです。
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社号標「村社八坂神社」(大正5年3月14日)
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八坂神社橋。
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4.4
4.8
鳥居。
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明治百年記念碑(昭和43年11月14日、本町山林組合員一同)
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鳥居(昭和56年7月14日、菊地一郎ほか9人奉納)
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末社。何かはわからず。
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参道。
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東京力士桐ヶ嵜幸五郎紀念(大正15年旧8月1日建之)
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石灯籠一対(明治3庚午年4月8日、世話方須々田孫九郎成久ほか講中・明治7年旧6月14日世話方須々田藤吉ほか講中)
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11.5
「記念 幕内力士 柏農山勝栄 東京大相撲」(昭和29年8月20日建立、鳴海清造ほか)
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大光寺町出身の力士(高砂部屋)。本名高木勝栄(1923-1958)。最高位は西前頭21枚目。詳しくはWikipediaでどうぞ。
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喜寿記念御神燈一対(平成17年7月14日)
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14.5
御神馬一対(皇太子御成婚記念、平成5年9月3日)
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15.5
狛犬一対(明治28年6月13日、福士弥兵衛、石工薬ノ八左エ門)
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16.4
16.8
八坂神社神馬奉納寄附名碑(昭和29年6月14日、寄附者121名)※350年祭奉納記念、御神馬像確認できず。また、下調べでは「昭和15年旧4月8日、紀元2600年及び除厄記念、平賀松井仁三郎、クニ、寿一」の家族奉納の御神馬もあるはずでしたが確認できず。更に「昭和10年7月14日、須々田永太郎、すみ」奉納の幣束柱台も確認できず。
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社殿。明治40年旧8月6日再建。木造入母屋、間口2間に奥行2間半。拝殿向かって右隣に廊下でつないだ間口2間に奥行1間半、木造柾葺(廊下)の幣殿(昭和16年7月14日、須々田勇吉寄進)があり、その後方に松の絵に「家事参孝 今去数百年昔依伝吾等家族兄弟子々孫々萬代末迄相互ニ救助ス…」と刻まれた石碑(昭和2年5月14日、平川猛37歳奉納)があります。
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18.2
18.3
18.4
18.5
18.6
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由緒…『享禄年中、大光寺城主滝本播摩守の祈願により堂を建立、千手観音尊を勧請したが天正年間焼失灰燼に帰した。その後慶長11年深秋に津軽左馬頭建広が大工山城国甲良宗忠に観音堂一宇を建立させ大光寺城落城戦死者を供養したと伝えられその棟札が現存している。旧藩時代は修験司頭大別当松峯山長永寺大行院配下のもとに別当本覚院をして寺領東西二十九間、南北六十六間、また御供米等を賜り、堂宇の造営は勿論四時の祭事は皆悉藩費を以て経営したといわれる。だが中途衰微し、慶応元年には牛頭天王を奉安したので崇敬が薄れたが、明治4年大政官布告による神仏混合仕分の際「八坂神社」と改め、明治6年4月村社に列せられた。祭典は旧6月14日、大正年間宵宮には打上げや仕掛花火大会を催し参詣客押寄せ賑いをみせた。』。明治4年の藩内神社調では『本町村八坂神社 社司平川全一 祭神須佐之男命 祭日7月18日 慶長11年勧請 社中社司 先祖修験宝泉坊儀慶長十一年当社別当職ニ相成リ当職覚善坊マテ十二世修験号ニテ社務仕候処今般ノ社人ノ号ニ転シ神道ヲ以テ勤仕仕候』等とあります。新撰陸奥国誌には『八坂神社境内九十六坪本村の西側にあり慶長十一年津軽馬頭建広勧請すと云ふ 祭神素戔嗚命 相殿滝本神、保食神 明治六年五月二十二日大光寺村より迂し祭る 稲荷神 旧は末社に祠れり同日本殿に迂し祭る 本社二間半に三間東向板葺 神楽殿二間に三間本社の東にあり管葺 鳥居三基 橋二 一の橋長四尺巾三尺 二の橋長七尺幅八尺 共に木橋なり 棟札の写あり左の如し 「聖主字滅す迦陵頻加声 施主津軽左馬頭藤原建広(梵字)奉新造立観世音堂一宇奥州津軽平賀郡 大工山城国住甲良左エ門藤原宗忠 哀愍衆生者 我等今敬札 慶長拾一載丙午深秋吉日」此の棟札の趣にては元は観音を祭れるなり平賀全一と云るか司なりしか全一免せられ明治六年四月十八日斎藤列樹か司となる」』とあります。
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拝殿向拝神額(本町婦人村中敬白)。
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拝殿内。その他、由緒については以前の記事を参照ください。
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本殿(慶応元年6月12日再建)。間口6尺5寸に奥行5尺3寸流造。
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23.5
こちらは何かわかりませんが、蝋燭台に「庚申塔」とあったので、裏にある庚申塔等に関連するものかと思います。
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24.5
青面金剛。
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25.5
裏面及び側面に「明和元甲申念九月十一日」等の古い紀年銘があり、じっくりと見たかったのですが、周囲の蜘蛛の巣がひどかったので近寄りませんでした。状態は良好です。一基は紀年銘等不明。
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庚申塔(寛政元己酉天八月七日講中)
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庚申塔(文化六己巳年七月二日講中)
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庚申塔(天保十四癸卯暦七月十九日二ツ家中)
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庚申塔(弘化二己巳暦七月朔日)
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二十三夜塔(安政六己未正月廿三日)
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こちらの建物は不明。
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周囲を空濠に囲まれている中島の境内社(胸肩神社)
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33.4
33.8
手水石(明治36年6月13日本町村中、発起人福士弥兵衛ほか)
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橋を渡ります。
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35.5
石灯籠一対(大正15年4月22日、福士ナリ他13人奉献)
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36.4
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本殿(2尺5寸4方)。昭和10年代に遷座されたといわれます。
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