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大鰐町森山。鯖石の西方。森山村河時謌館(東館・一条殿・鎌倉時代後期の山城)の森山八幡宮を探しに来ました。
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森山東館から奥羽本線を越えます。
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森山の板碑がある墓所。
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なお、写真によって天気が異なりますが、3度にわたって探索しているためです。
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まずはこちらの写真(河時謌館上の八幡宮・中央)を頼りに調査。
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昔の写真なので木々の状態は現在とかなり異なると思いますが。
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まったくわかりません笑
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八幡宮方面へと続いているこの道もどこなのかわかりません。
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森山萢中付近からの写真。
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板碑付近へと戻ります。
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ちなみにこの程度の資料(大鰐町史)は手元にあります。
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私が使用しているちょっと古めの地図では、大仏院の南方、梵応塚の更に南の文学の丘付近に八幡宮と記されており、かつてはそれが森山八幡宮かと思って探したことがありますが、そちらもまったく見当たりません。今回は色々と調べて、河時謌館は森山研修センターの裏方面、その付近の山中かその上なのではと思ったわけです。そこで国土地理院の地図を見てみたら、文学の丘より更に南、諏訪大明神の西の山に鳥居が記されていることに気付きました。現在は河侍謌という住所が存在しませんが、恐らく森山の東館の西ということになるかと思いますので合致します。下の写真の赤丸です。ちなみに黄色い丸が諏訪大明神、青い丸が祇園宮(現在の廣峰神社:弘前市小金崎桜ノ木)です。
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ってことで今度は諏訪大明神から見て山の裏側に回ります。森山の板碑付近から吹沢方面へと行く感じです。果たしてそこから河侍謌(河時謌)館上に行けるのかどうかはわかりません。現在の住所としては吹沢か古館。なお、河侍謌(河時謌)館が森山字内吹沢の丘陵畑であるということだけは実はわかっているのです。しかも吹沢の北には鶉長根の住所が残っているので間違いありません。とりあえず周囲を隈なく散策します。
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やはりあそこですね。
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神社らしき建物にも見えます。
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一番近いであろうこの場所(下の写真)から登ってみました。行けそうなんですが途中の雑草地獄で断念してしまいました。せめて鳥居でも見えたらもう少し頑張るのですが。
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気を取り直して北側から攻めてみたいと思います。
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うん?
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あそこにも怪しい建物が見えますが、行く術がありません。あきらめます。
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さて、北側にあたるここから向かいます。
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こちらも道は無いに等しいです。
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何とか上の方まで来ました。
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少し下ることになりますが、念のためにこちらの建物も確認。
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全然関係のない建物でした。
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気を取り直して再び登り、そうしてようやく一番上の怪しい部分付近まで辿り着いたのですが…
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これ以上は無理…終了!
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久々にこちらの記事への仲間入りです。
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ってことで河侍謌(河時謌)館上からの景色をお楽しみください。
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STAP細胞はあります!!間違えた。森山八幡宮はあります!!以下に情報だけは載せておきます。
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森山八幡宮は現存しているといいます。河時謌館の館神として一条氏勧請。館神・戦勝神・所領守護・除怨の神であるといいます。慶長10年及び元禄3年8月3日再建。なお、再建時は毘沙門・諏訪・八幡宮を一緒に再建。これは大鰐三社宮と同様に森山三社宮ともいえる三社信仰があったためと考えられています。安政2年の神社微細社司由緒調書上帳では慶長10年に村中で再建、社地4間に4間、板葺の2尺4面の堂社とあり、境内林は1畝5歩で破損した際は森山と小金崎両村で再建してきたとあります。明治6年、神仏仕分け令による一村一社により、八幡宮も諏訪宮も鹿島神社に合祭されましたが、諏訪宮は後に再建されて、八幡宮堂社は廃社になってもなお、そのまま館上に残されて今日に至るといいます。ちなみに資料では社号標「奉納八幡宮」(昭和14年1月6日、除厄、佐々木■三)、木製朱色鳥居、御神馬一対、本殿(4尺×3尺)があり、本殿には厨子入りの白馬に乗る八幡大菩薩像(御祭神)、脇侍2、他奉納白馬9があるそうです。
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大鰐町史より一部抜粋…『室町時代に書かれた「津軽郡中名字」に、伽藍寺・大安国寺・長峯などと共に森山の地域の「森山」と「河時謌館」が出ている。この「河時謌館」は中世のいつ頃できたのか、はっきりしないが館主は一条氏となっている。一条氏は浄土宗の萬福寺と関係があるのか一条忠頼が一条氏を襲名してからは代々一条氏を名乗り、時信の代になり一条道場(時宗の一連寺)を甲州に開いた時宗の遊行者なのだろうか。あるいは武川衆の実力者の一条氏の誰かが、甲州から陸奥国の当地に来て館を構えたのかは、はっきりしないがその中のいずれかであることは確かである。本県には一条氏を姓とする人々は少なく、この系譜のルーツを調べることによってはっきりしてくると思われる。』・『森山村の北西約500メートルの低い丘陵の八幡宮のある一帯が館跡である。現在ここの平坦地は全て林檎園に利用されている。館は三郭からでき、南の郭は東西18メートル、南北42メートルで、その南の端に八幡宮がある。郭東側の平川に向かって四段の段差が見られる。中の郭は東西17メートル、南北68メートルと最も広い。西側に二段の段差が見られる。北の郭は東西26メートル、南北19メートルである。「日本城郭大系」には、この館を示すと思われる森山古館の項があり、「南北朝時代の山城で、河時謌館か館主は不明」とある。』
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