弘前市石川大仏。大仏ヶ鼻の西南に寺屋敷と呼ばれる古い山城跡(由緒不明)があり、東南の高部に梵応塚があります。※現在の森山字鶉長根の丘陵畑は館跡であり、石川館に繋がる場所で、河侍謌(河時謌)館の北方に位置。
昭和63年3月竣功の大仏陸橋。
奥羽本線。
大鰐温泉スキー場が正面に見えました。
大仏陸橋を渡ると正面に共同墓地。
伝承によりますと南部高信の廟所跡と呼ばれる場所で、大仏ヶ鼻落城当時の戦死者を埋葬した所と伝えます。
六地蔵尊(弘前市南富田町、工藤義清・仝みつ、平成8年10月吉日建立)
現在は共同墓地になっています。
地蔵堂。
周囲にも地蔵尊がたくさんありました。
聖観世音菩薩。
この地には岩楯の曽我氏が建立したという岩淵寺がありました。現在、弘前市西茂森にある石流山川龍院(本尊釈迦如来)です。
まさに山城跡といった地形で、眺望もいいです。
奥羽本線によって分断されているものの大渕ヶ鼻城跡の一部とも思えるような場所ですね。なお、津軽の城・館については「津軽諸城の研究」(沼舘愛三編著)が結構詳細に書かれています。
大渕ヶ鼻城跡。
こちらの方が城に相応しい地形に感じますね。
上の方まで行ってみます。
ちなみに共同墓地のほとんどが「工藤家」でした。石川には工藤が多いのかも知れません。
大鰐温泉スキー場。よくあんな所を歩いて登ったな・・・私
上の方はりんご畑になっており、共同墓地よりも眺望はありませんでした。
大渕ヶ鼻城跡。
この日は岩木山もよく見えず。
共同墓地の更に南側にも僅かに墓所があり、道も整備されています。
その道の入口付近にあるのが梵応塚です。
梵応塚。
はたまた煩悩塚とも読み取れますね。
側面には「道路鋪装記念、昭和56年8月7日、供養者一同建之」・「発起人 齊藤鉄之助、小笠原久俊、齊藤惣之助」とありました。意外に新しいものですね。
裏面碑文…『伝記 梵応塚は大仏ヶ鼻城主南部高信公の廟所であり、家臣と板垣兵部將兼の墓所とも云ふ。元亀二年、今から四百十年まえのこと』
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